アンサンブル青葉

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Members Voice Backnumber13 2016(平成28年)712月 目次

 

7

或る奏

偉大なる作

偉大なる作曲家(続き)

歌詞を書こう

バス停駅

10

巨匠のBGM

ピックの話

ツプフとセロ弾き

詩人の瞑想

ピックは…

8

暑中お見舞い申し上げます

スポーツたけなわ

田園交響曲

スポーツたけなわ(の2)

11

イチ・ニ・サン・シ

リハーサルを行いました

青葉区民音楽祭に出演しました

2016年定期演奏会を開催しました

9

中村紘子さん

ゴールボ

田園交響曲(その2)

芸術の秋

12

低音の魅力

スラーのお話

パッションを高める

大河の曲

 

 

 

第297回 或る奏法                            平成28年7月2日

 

先週、第2回目となる「Il Mandolino Giapponese もう一つのイタリア文化」(IMG)がイタリア文化会館アニェッリホールで開催されました。

 

久保田孝氏の指揮する明大付属中高マンドリンクラブの演奏に始まり、在イタリアの邦人マンドリニスト・西山みき氏のミニリサイタル、主催者・堀雅貴氏率いるマンドリンアンサンブル「EUPHORIA」の演奏が披露されました。最後に久保田氏の指揮、西山・堀両氏のソロマンドリンによる「二つのマンドリンの為の協奏曲(ヴィバルディ)」が演奏され、万雷の拍手のうちに終演となりました。

各演奏ともその質は高く、本企画を実現した主催者・出演各位、並びに関係の方々に敬意を表します。

 

さて、今回のIMGで筆者が一番注目したのは、西山みき氏の奏法です。西山氏はイタリアで活躍する邦人マンドリニストで、今年は氏が渡伊20年になるのを記念してのミニリサイタルです。

 

筆者の席からは演奏する西山氏の右手の動きが良く見えました。そしていつの間にか、その動きに惹き付けられました。

西山氏の右手は、右手首から先が上下に大きく振られています。そして、ひじから手首までは殆ど動いていません。なお、手首は内側に曲げられてはいなかったようです。

 

この動きは、筆者自身はもちろん、他のマンドリン系奏者の誰とも違った動きでした。他の方は、そして筆者もそうですが、ひじから手首までが細かく上下に動き、相対的に手首はあまり動いていませんでした。

 

西山氏は手首から先を大きく上下に振る。ピッキングでもトレモロでも常にこの動きでした。つまりダウン・アップは一定です。そして、見れば見るほど手首をやわらかく使っていることがわかりました。

 

筆者は、ピッキングとトレモロが細かく混ざるような箇所は苦手です。もともと不器用な上に年齢を重ねて手首が硬くなった、と言い訳していますが、実は余分な力が入っているようですし、「ピッキングとトレモロは別もんだ…」と無意識のうちに思っているのかもしれません。

しかしこの動きならダウン・アップとトレモロは同じ動き。無理なく弾き分けることが筆者にもできるはずです。

 

美しい音色を聞きながら、いろいろなことも考えていました。

例えば「ソリストでなく合奏の一員であったらどうか?」とか、「今日のプログラムは古典曲が中心だが、現代曲にも通用するのだろうか?」とか、「ドラやセロのように楽器が大きくなっても対応できるのだろうか?」とか。

しかし、「手首をやわらかく使ってその先を大きく動かす」というこの方法、研究してみようと思います。これからの練習に、非常に大きな目標が出来ました。

 

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第298回 偉大なる作曲家                            平成28年7月9日

 

「偉大なる作曲家といったら、もちろんベートーヴェン!」

異論のある方もおられましょうが、これはシュローダー君の信念です。

いや、シュローダー君のみならず、バイオリニスト・葉加瀬太郎さんも二つの理由からそのように言っています。

 

ベートーヴェンが偉大という二つの理由。

まず、その時代にあります。

ベートーヴェン以前の音楽、それはいわばオーダーメードの時代です。音楽家は王侯・貴族の保護下にあり、彼らのための音楽を作っていました。

しかし、アメリカ独立・フランス革命など市民階級の台頭に伴い、王侯・貴族のためではない音楽・自立した音楽家が生まれます。その嚆矢がベートーヴェンなのです。

 

そして、ベートーヴェンは耳が不自由でした。若いころから聞きづらくなり、晩年には全く聞こえなくなりました。ちょっと想像してみてください。耳が聞こえない状態で楽器が弾けますか?これだけでも、ベートーヴェンは偉大だといえます。

もしベートーヴェンの耳が聞こえていたら、あれほどの作品は出来なかったであろう、という意見もあります。ベートーヴェンが静寂の中にいて、そこで無限の想像力を巡らせていたからこそ多くの名曲が作られたのかもしれません。

 

ベートーヴェンの曲は聞きやすく、メロディは平易で一聴簡単そうに聞こえます。

しかし、譜面は緻密に書かれています。

ベートーヴェンの時代、まだ楽器編成は少ないのですが、その少ない楽器編成で各バートが実に緻密に絡み合っています。パート譜に落とすと一見単純・簡単そうですが、とんでもありません。

また、各フレーズが弱起で始まっていることも多く、フレーズを聞きすぎますとすぐ小節を数え間違います。曲が始まってから終わるまで、一瞬たりとも気を抜くことはできません。

 

各パートが緻密に音を組み立てていって、初めてベートーヴェンの音楽が再現される…。そして再現できた時の喜び、これがベートーヴェンを弾く・聞く醍醐味です。

 

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第299回 偉大なる作曲家(続き)                        平成28年7月16日

 

さて、前回はシュローダー君並みにベートーヴェン礼賛となりましたが、これは最近の曲に対する筆者の戸惑いの裏返しです。

 

他の団体さんへお手伝いに行きますと、青葉ではあまり手掛けない作・編曲家さんの譜面にチャレンジすることになります。

その中で、最近のオリジナル曲はなかなかに刺激的です。例えば、変拍子。あるいはリズム。

 

4拍子の曲で素直に4拍子の曲は少なく、大体がルンバのスリーのリズムです。6/8拍子の曲であれば、3/4拍子のリズムと入れ替わるのはしょっちゅうです。

メロディが流れていても、スラーが拍に合っているとは限りません。意外なシンコペーションを形成している時があります。

また、擬音を音楽としてあしらったり、3拍のフレーズを半拍の休符を挟んで繰り返したりします。この時は見事に強拍・弱拍、表拍・裏拍の関係を無視した譜面になっています。

 

こういう譜面は筆者にとって鬼門です。

何も考えずに記譜通り弾いていけば「ノリのいい」音楽が聞こえてくるのですが、頭の固い筆者はまず読譜で一苦労です。

いよいよ弾き出しても拍がわからなくなる。メトロノームで合わせようとしても、強・弱拍、表・裏拍が逆ですから合うはずがなく、これでは練習になりません。

そうはいっても、こうした譜面を楽々弾きこなす人もいるわけですから、これは間違いなく筆者の勉強・練習不足なのです。

 

「現代曲は、より自由で多彩な作曲技法が駆使されているから難しくて当然。そういう箇所こそ腕の見せ所だ、がんばれ!」と自分を叱咤激励するのですが、…つい隣にあるベートーヴェンの、単純(?)な譜面の方に手が伸びてしまいます。しかも、その譜面の方が内容は遥かに豊かだと思えるのはなぜでしょう。

 

現代曲を練習しながら、この曲のテーマをベートーヴェンが作曲したら、果たしてどんな譜面になることだろう…と空想することしきりです。

 

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第300回 歌詞を書こう                            平成28年7月23日

 

歌を曲として演奏することがあります。…というか、そういうことはしょっちゅうですね。最近の曲でも「Let it Go」「麦の歌」「365日の紙飛行機」などなど、枚挙にいとまがありません。

こういう曲を演奏するとき、筆者はなるべく歌詞を譜面に書き込むようにしています。

 

もともと歌として発表されたものを、「歌」として演奏するか、一個の独立した「曲」として演奏するのか?これは悩ましい問題です。中には器楽曲として成立している曲(編曲)もあり、そうした曲は歌詞を書く必要はありません。

 

しかし上にあげた曲のように、比較的新しい曲はまだ器楽曲として成立しきっておらず、歌詞を書くことは有効です。特に、歌をそのまま編曲している曲には必要だと思うのです。

 

歌をそのまま編曲した曲は繰り返しが多くなり、冗長な感じになります。元歌であれば1番2番で歌詞が違うし、リフレインのここは歌い手本人、そこはバックコーラス…とわかるのですが。

一番肝心だと思うのは、歌詞がないと、メロディをやってないパートはどこがその曲の「ヘソ」だかわからなくなることです。

 

そこで、歌詞を譜面に書き込んでみる。そうすることで、その曲の「ヘソ」がわかります。多くは歌の「サビ」の部分です。

わざわざ書かなくても、メロディを聞いていればわかるって?

 

いえ、ぜひ書き込んでみてください。自分がサビだと思っていた箇所が、そうでないかもしれません。

それにメロディがあると、たいていの方は張り切って(楽器で)歌いだします。メロディがあまり回ってこないパートは、その傾向があります(なに、筆者自身のことです)。

しかし、そこは曲全体からすると、そう張り切らなくてもいい場所かもしれないし、曲の「ヘソ」は、自分が一番苦手なところかもしれませんよ?

 

歌詞を書き込むことによって、その曲の構成が…というと大袈裟ですが…確認できます。騙されたと思って、ぜひ書き込んでみてください。

 

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第301回 バス停駅                              平成28年7月30日

 

先日名古屋へ行ったのですが迷ってしまいました。新幹線改札から一歩中央通路へ出たところで、迷子です。行きたいところへ行くバス・地下鉄の乗り場はどこか、何線の何という駅で降りるのか?さっぱりわからず、10分は立往生していました。

 

普段は都心部へ通勤しており、地下鉄の利用には慣れているつもりでしたが、やはり行く先の土地勘がないといけません。帰京し仕事に戻って普段の電車に乗り、いつもの駅に着いたときはほっとしました。

 

その駅は、アンサンブル青葉名前の由来となった青葉区を走る田園都市線、その上り電車が半蔵門線に乗り入れた二つ目、「青山一丁目」駅です。毎朝の乗換駅であると共に、筆者にはお気に入りの駅名です。何となれば、れっきとした電車駅なのに、「一丁目」というバス停並みの駅名がついているのですから。

 

電車駅なら「東京」「新宿」「渋谷」のように、ずばりと地名を言って欲しいではありませんか。

とはいっても、これは1938(昭和13)年に銀座線の前身・東京高速鉄道が開業して以来の由緒ある駅名です。赤坂御用地にほど近く、今は高級住宅地でもある青山周辺は、作家の北杜夫氏(1927年=昭和2年生まれ)が幼少期を過ごしたところ。青山一丁目駅開業当時はまだそこら中に空き地があり、たいへんにのんびりした状況だったようです。ヒトダマも現れたとか?(「どくとるマンボウ昆虫記」の記述から)

 

さて、東京の地下鉄には「青山一丁目」のように「○○丁目」とつく駅がいくつかあります。東京メトロと都営地下鉄で、合わせて何駅あるでしょう?

 

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第302回 暑中お見舞い申し上げます                        平成28年8月6日

 

皆さん、練習お疲れ様です! 連日暑い日が続いています。こんな中、秋の演奏会に向けて練習はピークに向かっています。

熱中症対策が必要です。練習の行き帰りはもちろんのこと、練習中も適切な冷房の使用と水分補給、そして塩分補給をお忘れなく!

 

水分補給として水・ペットボトルのお茶などを飲むことが多いと思いますが、それだけでは次第に気分が悪く、お腹が痛くなってくることさえあります。これは汗をかくと、水分とともに、塩分・ミネラルも放出されてしまうからです。

 

そこで塩分・ミネラル補給。最近では塩味のキャンディーもありますが、筆者おすすめは梅干しです。

梅干しもまるのままでは練習中簡単につまめませんが、コンビニなどで売っている「タネ抜き梅干し」はお手頃です。これにもいろいろ味付けがありますが、やはりシンプルな塩味のものがいいでしょう。

食べ過ぎは禁物ですが、「汗をかいたな〜」と思ったら、たまには梅干しを口に含んでみてください。

 

 

前回(301回)の答え

 

青山一丁目(銀座線・半蔵門線・都営大江戸線)

銀座一丁目(有楽町線)

志村三丁目(都営三田線)

新宿三丁目(丸の内線・副都心線・都営新宿線)

新宿五丁目(都営大江戸線)

本郷三丁目(丸の内線)

六本木一丁目(南北線)

四谷三丁目(丸の内線)

以上8駅でした。

 

 

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第303回 スポーツたけなわ                          平成28年8月13日

 

メジャーリーグイチロー選手のメジャー通算3000本安打、リオオリンピック開催での日本選手団の活躍と目が離せません。

数々の名勝負と、選手たちの名言は

 

「達成感を感じてしまうと前に進めないのでしょうか。…達成感や満足感を、僕は味わえば味わうほど、前に進めると思う。小さなことでも満足することは、すごく大事なこと。それを味わうと次のやる気が生まれてくると、僕は経験上信じている。これからもそうありたいと思う」

…イチロー選手。メジャーリーグ3000本安打を達成してのインタビューから

 

「ライバルの泳ぎを想像して自分を奮い立たせてやってきた。切磋琢磨すれば、お互いに強くなれる」

…水泳400メートル個人メドレー銅メダルの瀬戸大也選手。同種目金メダルの萩野公介選手とは同学年のライバル。

…瀬戸選手の地元、毛呂山町での五輪壮行会で、子供たちから「夢をかなえるには?」と聞かれ

 

「日本人がこの競技でメダルを取るなんて、日本を飛び出した10年前には誰も信じていなかった。でも、僕は本気だった」

…カヌー・スラロームのカナディアンシングルス銅メダルの羽根田卓也選手。

…高卒後単身カヌーの強豪国、スロベキアへ渡り練習に励んだ。

 

「審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。航平さんはキャリアの中でいつも高い得点を取っている。それは無駄な質問だ」

…体操個人銀メダル、ウクライナのベルニャエフ選手。

…表彰式後のインタビューで、金メダル獲得の内村航平選手に「あなたは審判に好かれているんじゃないですか?」と質問したメディアに対し

「航平さんを一生懸命追っているが、簡単じゃない。この伝説の人間と一緒に競い合えていることが嬉しい。世界で一番クールな人間だよ」とも。

 

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第304回 田園交響曲                             平成28年8月20日

 

岩手県へ行ってきました。

夏の日差しのもと、一面の田園風景の中で車を走らせていると、自然にベートーヴェン第6交響曲「田園」のメロディが浮かんできました。偶然ではありません。岩手は宮沢賢治のふるさと、そして「セロ弾きのゴーシュ」の故郷なのですから。

 

ゴーシュと、ゴーシュが所属する金星音楽団が、街の音楽会目指して練習している曲が第6交響曲。金星音楽団でいちばん下手なゴーシュは、毎晩遅くまで一人で練習しています。そんなゴーシュのところへ、毎晩様々な動物が現れては練習の手助けをしてくれるのです。

 

金星音楽団は、普段は街の活動写真館で弁士の伴奏をしています。人数はそんなに多くはないはずで、アニメで(正確にはアニメから絵をとってきた本でしたが)見た限りでは10名ほどでした。それを見たときは、「そんな少人数で『田園』が演奏できるものか?」と訝しんだものです。

 

ところが、それを実現して見せたのが日本フィルハーモニー交響楽団です。日フィルのホームページを見ますと、「田園」をアニメより少し多いのですが、13人で演奏しています。

改めてスコアを見ますと、「田園」は編成が小さく、弦5部と木管4種、金管3種とティンパニしかありません。各パート1名ずついれば演奏はできるようです。

 

さて、第6交響曲といえば鳥のさえずり・小川のせせらぎ、雷鳴や嵐などを曲中に取り入れたことでも有名です。譜例は第2楽章終結部、鳥がさえずりを交わすところ。鳴いているのはナイチンゲール・鶉・かっこうです。

 

 

そういえば、ゴーシュが一人で練習しているところへ訪れる動物のなかにかっこうがいます。かっこうはゴーシュをこう叱咤し激励したのでした。

「ほくらなら、どんなに意気地がないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ!!

 

ゴーシュは練習に励みます。そして音楽会は見事に成功。ゴーシュは、アンコール演奏という大役を任されるまで成長したのです。

 

たった一人での練習でも、きっと誰かが見ていてくれる。励ましてくれる。叱咤激励してくれる。誰かの役に立っている。

私たちのもとにも、かっこうが飛んでくるかもしれません。

 

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第305回 スポーツたけなわ(その2)               平成28年8月27日

 

21日閉幕したリオデジャネイロ オリンピック。日本は過去最高の41個のメダルを手にしました。

奮闘した選手たち、彼ら彼女らを支えたコーチたち、声援を送ったすべての方々に改めてエールを送ります。

 

「大事なのは、終了のブザーが鳴る瞬間まで力を抜かないこと」

前田雄一郎さん。至学館大学女子レスリング部元コーチで伊調馨・登坂絵莉・土性沙羅選手らの練習相手を務め、指導した。

前記の3選手は、決勝戦で残り10秒以内からのタックルで逆転優勝した。

 

「絶対メダルのところへ連れて行ってやろうと。彼女たちもそれを信じてついてきたのだと思います」

(監督になったとき、選手たちは)ただシンクロが好きだというだけだった。今は世界を相手に戦えるアスリートになった」

シンクロナイズドスイミング井村雅代監督。2014年に日本代表監督に就任、選手たちに厳しいトレーニングを課してきた。

マーメイドジャパンはデュエット・団体共に銅メダルを獲得、シンクロの復活を果たした。

 

「応援してくれる人を大事にしなさい」

卓球男子シングル銅メダル、水谷準選手のお祖父さん。

「周囲の支えがあるから卓球ができる。自分のためでなく、みんなのためにプレーする気持ち。それが原動力になる。」と水谷選手。

 

「先輩二人を手ぶらで帰すわけにはいかない」

卓球の伊藤美誠選手。卓球女子は団体で2大会連続となるメダル獲得。

 

「ほら、立ち上がって。ゴールしなきゃ」

陸上女子5000メートル予選、もつれあって転倒したハンブリング選手にダゴスティーノ選手がかけた言葉。

ダゴスティーノ選手は足を痛めていたが、二人は励ましあって完走した。

大会委員会は二人の決勝進出を認めた。

 

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第306回 中村紘子さん                              平成28年9月3日

 

この7月に逝去された中村紘子さん。

その中村紘子さんの追悼番組を見ました(テレビ東京系「題名のない音楽会」)。

日本を代表するピアニストとしての、華やかでかつ凛とした演奏ぶり(ベートーヴェン ピアノコンチェルト「皇帝」)に感動、そして熱心に後進の指導に取り組む様子などが紹介されました。その中で、印象に残った中村さんの言葉。

 

「未完成でも「聴いてほしい」と引っ張るものがあること」(公開レッスンの場で若いピアニストに)

 

この言葉は、どういう意味だろうかと考えます。

 

…「曲が未完成」とは、弾けていないということではあるまい。曲に対する理解・解釈が不十分か、十分であってもそれを表現できていないということだろう。

そうであっても、弾き手が「何か(情熱?)」をもって演奏すれば、お客様はきっと耳を傾けてくださる、ということなのだろう。

 

ところで番組の中では、中村さんの言葉がもう一つ紹介されていました。

 

「上手い人は山ほどいる。大切なのは、何を人に伝えるか」

 

すると、とさらに考えます。

 

…「未完成」が「未熟な演奏者」を表すとしたらどうだろう。

例えば、初めてマンドリンに触れ、初の演奏会に臨んで緊張している奏者であれば、あるいは趣味として演奏を続けている奏者であれば、あるいは難曲も難なく弾きこなす大ヴェテランであれば、その曲・演奏から「何を」伝える?「何を伝えたら」いいだろう?

 

現在の筆者は、長く楽器をやっているだけで決して上手いわけではありません。しかし、長く同じ楽器を弾き続けられてきたのは、やはり楽器が、音楽が好きだからでしょう。

例え不器用であっても、この楽器が好き、曲が好き、音楽が好きという気持ちを込めて弾けば、それはきっとお客様には伝わる、それを伝えるように演奏しなさい、ということに繋がるのかもしれません。

 

音楽について考える機会を与えてくださった二つの言葉に感謝し、謹んで中村紘子さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

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第306回 ゴールボール                              平成28年9月10日

 

リオデジャネイロでパラリンピックが開幕。さまざまな障害を持つ人たちの熱い戦いが始まりました。

先日パラリンピックの紹介番組があり、その中で「ゴールボール」に注目しました。

 

ゴールボール

視覚障害の人が対戦するゲーム。見え方によるハンディをなくすため、全員がアイシェードをつけて完全に見えなくする。このため、健常者も身体的に同じ条件でゲームに参加できる。

バレーボールほどの広さに1チーム3人で対戦、中に鈴が入ったバスケットボール大の球を相手に向けて転がす。転がしたボールが相手チームのエンドラインを通過すると得点になる。

 

日本はこの種目、ロンドン大会で金メダル。世界トップでした。その理由は鉄壁の守備。守備の要、浦田選手は相手が投げてくる位置が50センチ単位でわかるといいます。相手が攻撃してくる位置がわかれば、守備に有利でした。

 

ところが、最近は世界を相手に苦戦してきました。日本チームの守備を研究した相手チームが、攻撃に「バウンドボール」を多用するようになったためです。

これまで「転がってくる」ボールでの攻撃なら平面での守備でよかったものが、「バウンドボール」は弾んでくるため三次元での守備を求められるようになったのです。

また、バウンドしたボールは空中にある時間が長く、転がるだけのボールに比べてその位置が把握しにくく、この2点への対応が遅れてしまったのです。

 

日本チームはこのバウンドボールへの対応策を模索しました。

ゴールボールの選手がボールの位置を把握するには、ボールの中に仕込まれた鈴の音を聞くしかありません。バウンドボールは、ボールが空中にある間は転がる音がしないのでボールの位置がわからなかったのだそうです。

 

しかし、浦田選手は、ボールが空中にあるときも鈴の音がかすかに聞こえることに気づきました。そのかすかな音に対応することで、バウンドボールに対応することができるようになったのです。

 

人の努力・能力とはなんとすばらしいものなんですね。同じ「音」を頼りとするものとして、全力で応援します!

 

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第307回 田園交響曲(その2)                      平成28年9月17日

 

第304回で「田園」を13人で演奏、と書きました。「田園」に出てくる楽器は13種類・14パートです。このうち出番が最も少ないピッコロを持ち替えるか省略すれば、各パート1人ずつの13人で演奏できるのです(指揮者は別)。

 

ところで「田園」は本来何人で演奏するのでしょう?

スコアを確認すると、木管楽器がピッコロ1、フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット各2人の9人、金管楽器がホルン・トランペット・トロンボーン各2人の6人、打楽器がティンパニ1人で16人。あとは弦5部で、弦パートが16型(1stが16人、以下14人、12人、10人と減り、コントラバスが8人の編成)ですと60人。奏者だけで合計76人になります。

だいぶ人数に差があります。一番違うのは1stで、1人対16人という、圧倒的人数差=音量差がありそうです。

 

…と思いきや、実はそれほど大きな差は無いようです。というのも、16人で演奏しても、聞こえる音量は1人の時の2倍くらいにしかならないからです。

えっ?と思われるかもしれませんが、2人の奏者が同じ楽器2台を同時に鳴らした音量は、1台だけの時の音量の1.4倍ほどにしかなりません。つまり音量は、奏者が増えた分に単純比例して大きくなるわけではないのです。音量を2倍にするためには10人が必要ですが、仮に奏者が100人に増えてもせいぜい4倍です。16人では1人の時の2倍ちょっとにしかなりません。

(参考文献:「響きの科学」ジョン・パウエル著、ハヤカワノンフィクション文庫)

 

管奏者は半分ですが、管は多くの場合Div.で演奏します。従ってDiv.の下がなくても、全体の音量に与える影響は少ないのではないでしょうか。13名で演奏する「田園」は、フル編成の演奏と比べても音量の点で遜色はないと言えます。

同じように、ゴーシュと金星音楽団の演奏も、きっと街の人々の心の中に大きく刻まれたことでしょう。

 

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第308回 芸術の秋                                 平成28年9月24日

 

芸術の秋を迎えました。芸術の秋は、読書の秋でもあります。

そこで、音楽に関係のある本のご紹介。

 

「羊と鋼の森」宮下奈都:著 文芸春秋 ISBN 978-4-16-390294-4

 

皆さん、楽器のチューニングはどうしていますか?

ほとんどの人がクリップチューナーや音叉で音を使って、自分でチューニングしていることでしょう。

また、全員の楽器をずらりと並べ、コンサートマスターやパートリーダーがチューニングしていくのは、演奏会では見慣れた光景です。

 

その点、ピアノは演奏者自身がチューニングできません。調律師という専門の技術者(職人)が専用の道具を使ってチューニング…調律といいます…しています。その若いピアノ調律師の話です。

 

主人公は、高校生のときピアノの調律に出会い、調律師を志すようになります。専門学校を卒業し、いよいよ調律師として働き出した主人公が、先輩調律師や依頼者たちとの交流を重ねて成長していく…というお話です。

 

まず、主人公が一人のピアノ調律師として、そして人間として成長していく姿、それが実に素晴らしい。基本をおろそかにせず、驕らず、研鑽を重ねていく主人公の姿勢は、それを語る文体とともに美しいものと感じました。

 

そして、作品中にあらわれる「音」の表現。「音」って、こんなにも多彩な表現で語られるものだったのでしょうか。

ピアノ一台一台、その状態が違う。お客様が求めるものも違う。彼は工夫を凝らして調律する。その結果演奏される音が、実に様々な表現でつづられています。

私たちの楽器が歌うとき、私たちはその音色にどれだけ気を配っているのでしょうか。もっと気を使ってあげるべきなのではないか…と感じさせるものがありました。

 

さて、前述の通り、主人公は調律の際に様々な注文を受けます。いわく、「もっと明るい音色に」「もっと華やかに」「もっと澄んだ音に」…。

それとは別に、主人公が調律師として目指す、自分の理想とする音があります。その音とは?

ぜひ本編を読んで確かめてください。

 

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第309回 巨匠のBGM                           平成28年10月1日

 

何かをしている時、BGMがあると捗ります。

もちろん事と次第によっては静寂が好まれる・必要とされる時もありますが、適度な音楽が気分転換を促し、能率を上げてくれることは言うまでもありません。

 

マンガ界の巨匠・手塚治虫(1928〜1989)にとっても、BGMは必要不可欠でした。手塚治虫は音楽好きで、在宅の際はつねに音楽が流れていた(子供たちはそれで多忙な父親の在宅を知った)そうです。当然、仕事中も常にBGMを流していたといいます。

 

当時を回想したマンガ(「ブラックジャック創作秘話」秋田書店:刊)を読むと、手塚治虫は常に複数の締め切りを抱え、大勢のアシスタントや編集者、その他の人に囲まれて(追われて?)います。とても音楽など聞いている余裕はなさそうに見えますが、意外ですね。

 

さて、BGMは少年誌向けの原稿を執筆しているときはミュージカル、時代物の原稿の時はクラッシック音楽と決まっていました。音楽を流していると益々アイディアが湧いてきて、すさまじい勢いで仕事をしたといいますから、凄い!

 

先日、手塚治虫が最後に使っていた書斎がテレビで紹介されました。(9月28日放送、NHK総合テレビ「探検バクモン」)

30畳ほどの広い書斎には、仕事用にマンガ用とアニメ制作用の机が一つずつ、打ち合わせ用の机が一つ、そして隅にはオーディオ。CDは出始めたところで、まだレコードが主流でした。

ターンテーブルに乗っていたレコード、つまり、手塚治虫が最後に聞いたであろうBGMは、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」。当時は、ベートーヴェンの生涯をテーマにした「ルードヴィヒ・B」を執筆中でもありました。

 

亡くなる直前、中学校での講演で「やじうまになろう(全てのことに興味を持とう)」「一番ショックな出来事を覚えておこう」「いのちを大事にしよう」と呼び掛けていた手塚治虫。ベートーヴェンを聞きながら、どんな構想を練っていたのでしょうか。

 

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第310回 ピックの話                           平成28年10月8日

 

マンドリンを弾くためには、ピックが必要です。

先日現役の学生さんと練習する機会があったのですが、その学生さんはどうにも音が鳴らない。見ると、ピックに柔らかいギター用のものを使っており、そのため弦をうまくはじけなかったようです。

 

練習後、マンドリン教室で指導をしている先輩と話したのですが、「綺麗な音を出す要諦は、ピックが弦と水平・垂直に当たること。」「ピックの要諦は、弦の張力に負けない強靭さと、弦をはじくしなやかさを持っていること。また、ピックはある程度大きい方が弦に深く当たるので、特にピアニッシモを弾くときにいい音が出せる。」と教えてくれました。

 

筆者は、ピアニッシモには小さめのピックで、弦の上を細かく擦るような弾き方がいいと思っていたので、びっくりです。先輩はにっこり笑って、「ピックが撓って弦をはじき、音が出る。しかし、そのような弾き方ではピックは撓らない。結局腕だけで(手首を使えず)弾くことになるから、きれいな音にはならないよ」と説明してくれました。

 

筆者は、学生のときからずっとべっ甲製のピックを愛用しています。ピックの要諦である「弦の張力に負けない強靭さと、弦をはじくしなやかさ」を併せ持っています。

弱点はそのお値段。筆者の現役時代、一番大きなセロ用は当時450円でした(なぜ値段を覚えているかというと、大学近所の居酒屋、そこの昼定食と同じ値段だったからです)

それが品薄と相まって、今やべっ甲のピックは800円(+消費税)、学生さんがおいそれと買える値段ではありません。

 

そこへいくと、楽器屋にはナイロン製各種ピックがお手頃価格で並んでいます。マンドリン専門誌などを見ても、プロの方もナイロン製のピックをお使いのようですので、必ずしもべっ甲製にこだわる必要はなくなったのかもしれません。

 

また、ピックを変えると音が変わる…というのは皆さんもよく経験されていることでしょう。ビックの厚さ・柔らかさは弾く音色に直結します。これからは、弾く曲や楽団の編成によってピックを使い分けていくべきなのかもしれません。

筆者のおすすめがべっ甲製であることは変わりませんが、この三連休、チョット楽器屋さんをはしごしてみましょうか。

 

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第311回 ツプフとセロ弾き                       平成28年10月15日

 

友人が、今年の初め行った演奏会の曲をYouTubeにアップしました。

曲は「4つの民族舞踊」というツプフの曲です。

友人はセロ弾きです。ん?ツプフではセロは出番がないはずでは?ベース譜を弾いたの?

いや、よく聞くと、ギターが聞こえない。ギターは入っているの?

 

さっそく友人に聞いてみたところ、「いやーお恥ずかしい。実はメンバーに、当時はギターがいなかったんだよ」とのこと。以下は友人に聞いた話です。

 

…知っての通り、ツプフは譜面通りだとセロ抜き、1st2ndのマンドリン・ドラ・ギターとベース。セロが入るときは、普通はベース譜を弾くじゃん。

でもこのときは、メンバーにセロはいるがギターがいない、という状態。そこでギターの譜面をセロで弾けないかと思ったわけ。それに、ベース譜よりは音が多くて面白かろう…という下心もあったしね。

 

…ギター譜からセロ譜を作るのは、わりと簡単だった。ギターはト音記号、セロはヘ音記号だけど、ギターの実音は記譜の1オクターブ下だから両者の音域は同じ。読み替えればいいのさ。あとはギター特有の重音をどう処理するかだけど、これは和音構成が同じ組み合わせを探して記譜する(例えば、ギター譜で重音構成がC=DO−MI−SOLであれば、DO−SOL−MIで良しとする)ことで解決。

 

…譜面は出来たけど、これを実際弾く・表現するとなると話は別物だったね。

例えばギターの基本的な伴奏は「1拍目を親指でベース音を弾き、2拍目以降は人差し指以下の重音で弾く」というのがあるじゃん?セロは、基本的にはピックを使って単音を弾く。そんなセロに、1拍目に単音を、次にすぐ重音を弾くというパターンは案外難しかったね。

また、記譜上は重音が書けても、ギターとセロでは響きが違うもので、ギターではちょうどいい重音もセロでは響きすぎてしまい、単音に戻したこともあったな。

 

…他の人が編曲したのであれば、もっとちゃんとした譜面になっただろうな。でもこの曲は、ギター・セロそれぞれの楽器の良さ・特性を認識できた、思い出深い曲となんだよ…。

 

とのこと。

さて、「ギター抜き、セロ入り」のツプフ、皆さんのご感想はいかがでしょうか。

 

https://goo.gl/SwlatF  YouTubeに飛びます

 

 

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第312回 詩人の瞑想                         平成28年10月22日

 

先日スーパーで買い物をしていたら、こんにちは〜こんにちは〜と三波春夫の歌声が。かの‘70万博のとき日本中で流れていた「世界の国からこんにちは」ではありませんか。思わず聞き入ってしまいました。

 

40年以上昔の歌ですが、今改めて聴き、そして歌詞を書き出してみると、ああ、いい歌だなあと感じます。やさしい言葉で、世界中の皆さんどうぞ日本にいらっしゃい、さあ世界中からお客様が来ます、握手をしよう、と語りかけています。詩人・島田陽子さんの作詞、作曲は中村八大さんです。

 

さて、本年度のノーベル文学賞がボブ・ディラン氏に授与されることは、ご存じだと思います。

報道によれば、この選考に不満がある方もおられるようです。「なに、所詮シンガーソングライターじゃないか、正当な文学とは違う」と思われたのでしょうか。きっと、ボブ・ディランがホメロスのような詩人だったらよかったのでしょう。

しかし、授賞理由は「アメリカの偉大な歌の伝統の中に、新たな詩的表現を創り出した」であり、歌詞が詩であると評価されたものに他なりません。

 

歌詞といわゆる詩と何か違いがあるのでしょうか。

古今東西、詩人の詩に曲をつけたものは数え切れません。ベートーヴェン第9交響曲「合唱」もその一つ。ベートーヴェンが若いころから好んだシラーの詩を高らかに歌い上げています。また、中原中也の詩にも曲がついて歌われています。違いなどありません。

 

ただ一つ筆者が感じるのは、英語であれ日本語であれ、その他何語であっても、いい歌詞はよい言葉であり、単語の羅列ではない簡潔な表現を持った文になっている、ということです(ボブ・ディランの「風に吹かれて」、カーペンターズの「イエスタディ・ワンス・モア」などを思い浮かべてみてください)。

 

そういえば、童謡作曲家の大中恩(おおなか・めぐみ)さんがこのようなことを言っていました。

「メロディは、言葉を伝えるためにある」と。

大中さんは、常によい言葉を探しています。そして、よい言葉に曲をつけています。先日、大中さんは絵本作家のかこひろしさんの詩に曲をつけました。

 

…海に生まれ 命をつなぎ 大地に住んで 命をわけた

この星に住む兄弟たちよ 友よ仲間よ 心を結ぼう

海と大地の この星とともに

 

ボブ・ディラン氏のノーベル文学賞受賞に、改めて敬意を表します。

 

 

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第313回 ピックは…                          平成28年10月29日

 

マンドリンのピックはべっ甲!と思っていましたが、こうお値段が張るとそうも言っていられなくなります。

横を見ると、リーズナブルな価格でナイロンのものがたくさん並んでいます。「お試しに」いくつか選んでみました。

選んだのは、伝統的なマンドリンピックに近い形状・硬さ・厚さのものです。5枚買っても500円+税ですから、これはお買い得。さて、その使い心地はどうだったのでしょう?

 

今までピックを選ぶ基準は、平面性でした。べっ甲は天然素材ですから、どうしても凸凹があります。なるべく平面性の高いものを選んでいました。

今回、その点は問題なし。それより着目したのは「しなって弦を弾けるか」という点でした。

 

買ったもののうち、いくつかはNGでした。厚さとしなりのバランスが悪かったり、柔らかすぎて弦を弾けなかったり。あと、気分的なものでしょうが、べっ甲のものと弾く音質が違ったり、あるいは弦と当たる音が気になったりでした。

 

そんな中、今回これは使ってみようかなと思ったものは二つ。

一つはDunlopのブランドのものです。はじく感じも良いし、音質も違和感ありません。べっ甲に比べて柔らかい感じに響きますので、曲想によって使い分けてみたいと思いました。欠点は使っていると表面がすぐツルツルになってしまうことですが、これは市販のすべり止めシールで解決しました。

 

もう一つはCalaceのものです。これはさすがに老舗の看板だけあってしなりに腰があり、よく弦をはじきます。

ただ、薄いので太い弦や大きい楽器(ドラやセロ)を弾くときはやや難があるかもしれません。また、ピックの音がするのも困りものでしたが、これは弾く位置を変えると全く気にならなくなりました。はて、これは今までの自分の構え方が悪かったのかしらん?

ピックから始まって構え方、弦を弾く位置の見直しを進めています。

 

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第314回 イチ・ニ・サン・シ                           平成28年11月5日

 

楽くん:イチ・ニ・サン・シ、イチ・ニ・サン・シ…

典さん:おや、変なリズムだな? 楽くん、なにをしてるの?

楽くん:音楽理論の実践をしているんです。

典さん:実践、て?

楽くん:強拍・弱拍です。4/4拍子の場合、1・3拍が強(中)拍、2・4拍が弱拍ですから、実際に弾くときもそのようにすべきかと。

典さん:いや、それはちょっと待って。強拍・弱拍の考え方はその通りだけれど、強拍・弱拍と実際の音を、音量の強弱、またはその他の方法で一致させる必要はないんだ。

楽くん:えっ、そうなんですか?

典さん:そうなんだ。ちょっとおさらいをしてみよう。

音楽にはリズムがあるね。リズムは一定時間ごとに刻まれる「拍」という単位にのって作られる。そして「拍子」というのは、何拍目かごとに心理的な強点(力点)を周期的に設定して「拍」の進行を整理・統合する組織なんだ。

楽くん:えっと、よくわかりませんが…

典さん:はは、そのうちわかるさ。いまは「強拍・弱拍というのは、心理的なもの」ということを覚えてもらえればいい。

楽くん:「心理的なもの」ですか?

典さん:そう。たとえば、1拍が8分音符・16分音符の音より4分音符(またはそれ以上)の方が心理的に強く響く。また、和声の変わり目の音などもまた心理的に強く響く。他にも例はあるけれども、このように、強く響く音(=強点)は拍の繰り返しの基点となるだろう?

楽くん:ああ、それで基点となる拍を「強拍」というのですか?

典さん:そう、そして強拍以外の拍が「弱拍」となったんだ。さらに「強拍」と「弱拍」の繰り返しのパターンが「強・弱」=「2拍子」、「強・弱・弱」=「3拍子」、「強・弱・・弱」=「4拍子」という単純拍子を形成したんだよ。

ちなみに、4拍子の3拍目を「中拍」というのは、拍の多い拍子は強拍から次の強拍までの時間が長くなるから、「心理的に」その中間にもう一つの「拠りどころ」が欲しくなる、その結果だよ。

楽くん:なるほど。繰り返しの基点。いわば「拠りどころ」ですか。

典さん:その通り、拠りどころさ。「強拍・弱拍というのは心理的なもの」ということが何となくわかってもらえただろうか。心理的なものなので、強拍・弱拍と実際の強弱と一致しない。だから、強拍・弱拍で曲の拍子を無理に表現する必要はない。曲の拍子はもっと別のもの、メロディーやリズムがもっているんだよ。仮にある曲を始めから終わりまで同じ音量で弾き通したとしても、その曲の拍子は自ずとわかるものなんだ。

楽くん:そうか、それで強拍だからといってフォルテにしたり、アクセントをつける必要はないと。

典さん:そういう事さ。

楽くん:すると、強拍を強調して弾くメリットはないのですか?

典さん:うーん、場合によってはよい効果を上げることもある。

しかし、大切なのは作曲者の意図だよ。作曲者が何らかの方法で明確に強拍強調を指示しているならともかく、そのような作曲者の意図が読み取れないのなら、強拍だからといって殊更に強調する必要はない。もしそのような演奏をしたら、それは非常に不自然な、あるいはこっけいな演奏になり、作曲者の意図に反する悪い結果を生むだろうね。

 

 

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第315回 リハーサルを行いました                    平成28年11月12日

 

生憎の雨模様だった11日、2016年定期演奏会の会場である「みどりアートパーク」にて、リハーサルを行いました。

 

みどりアートパークは開場してまだ3年の新しいホールです。

座席数は342名とあまり多くはありませんが、座席はゆったりとしています。とても響きの良いホールで、リハーサル中のメンバーも力が入りました。

 

リハーサル直前のメンバー。まだ余裕がありました。

舞台遠景

 

本番まであと1週間余りです。

この良いホールで皆様にお目にかかれるのを、メンバー一同心よりお待ちしています。

 

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第316回 青葉区民音楽祭に出演しました                    平成28年11月19日

 

 快晴の13日、横浜市青葉公会堂で恒例の青葉区民音楽祭が開催されました。アンサンブル青葉はロビーコンサートて出演。19日開園予定の定期演奏会の曲から抜粋で演奏し、お客様から盛んな拍手をいただきました。

 

演奏前・たくさんのお客様がお待ちです。

 

演奏中:高音側

 

演奏中:低音側

メンバーの向こうにお客様が見えます。用意した椅子だけでは足りず、周りを取り囲んで熱心に聞いてくださいました。

 

 最初はかなりざわついていましたがプログラムが進むにつれ静かに、そして熱心に聴いてくださいました。

アンコールもいただきました。本番の定期演奏会にも、お越し下さることをお願いし、無事終演できました。

 

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第317回 2016年定期演奏会を開催しました               平成28年11月26日

 

2016年定期演奏会は、会場をみどりアートパークに替え、開催されました。

当日は生憎のお天気でしたが、150名を超えるお客様にご来場いただきました。

 

開場前。

お客様を待っています。

本番前。

笑いの中にもそこはかとなく緊張が…

終演後。

お客様と談笑する指揮者

同じく終演後、あちこちに談笑の輪が。また、アンケートにもご協力いただきました。

(演奏中の写真・アンケートは現在集計中です)

 

今回も、多くの方のご協力により演奏会を無事終えることが出来ました。

司会をお願いした大倉 マヤさん、会場スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。

また新たな演奏会に向け、スタートしていきます。今後ともアンサンブル青葉をご声援ください!

 

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第318回 低音の魅力                            平成28年12月3日

 

演奏会間近に弦を張り替えたときのこと。いつもは4コース同時に替えるのですが、今回はまず低音弦のC・G線を先にしました。替え終わってまずは試演奏です。

ここでハタ!と思い当たりました。低音弦で演奏する曲がない!せっかく新しい弦を張ったのです。音階練習やトレモロのみでは少し味気ないじゃありませんか。と、ここでオケ譜を弾くことを思いつきました。

 

それは「エグモント序曲」のオケ用パート譜です。マンドリン編曲の譜面は持っているのですが、当然のことながら編曲されています。それが、たまたまオケのパート譜が手に入ったものですから試してみることにしたのです。

 

すると、C・G線を使うこと!「エグモント序曲」は主要なモテーフ・メロディがC・G線に出てきます。C・G線でメロディを弾くことなぞ滅多にないことですから、弾き込んでみました。

そこで改めて気づかされたのは、低音の魅力です。自分の楽器ながら、あれ、こんなに低音で歌えるんだ、と嬉しくなりました。

 

マンドリン編曲されたオケ曲は、本来のオケ曲に比べて軽く聞こえることがあります。もちろん、編曲・編成上の制約があるし、どこかが管楽器の代用をしなくてはなりません。直接比較するのは無理、とわかってはいますが、それでも違う。

 

マンドリン属はバイオリン属に比べ音が軽めです。それはマンドリンの魅力の一つですが、それを強調しようとしてか、オケ曲の編曲の際、高音弦へシフトしがちのようです(最近のオリジナル曲にもその傾向があるように思えます)。低音弦は弾きづらいし鳴りにくい。無理に低音弦を使うより、少々上げてしまえば弾く方も楽だし音としても安心して使えるから…。

筆者の持っているマンドリン編曲譜の「エグモント序曲」も、原曲よりオクターブ上がっているところが随所にあります。確かにその方が音の安定性はあり、弾きやすい。

しかし、その結果、ある音域がすっぽり抜けてしまっている。その音域の不足が、オケ編の曲が軽く聞こえる原因の一つなのではないでしょうか。

 

セロは、最近は高音部で歌う曲が多く人気の楽器になりましたが、あまり使われていない音域…C・G線を使った低音部の魅力…というものをもっと追及してもいいかもしれません。そのために、弾く方にもC・G線をビビらせずに弾きこなすだけの技量が求められます。低音の魅力、それを追い求めたくなるような曲。その発掘・新曲の発表を望みます。

 

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第319回 スラーのお話                           平成28年12月10日

 

スラーとは、楽典によれば「なめらかに奏する。音と音の間を切らずにつなぐ」ことで、スラー記号で囲われた音符は、音を切らずになめらかに続くように演奏します。

ここから一つのフレーズを表すことも多く、その場合には音量や音質には段差をつけないよう、また、まとまりを感じさせるように終点の音を弱く演奏したりします。

 

ところで、前回触れた「エグモント序曲」では、主題提示部に少し不可解なスラーが見られます。

Allegroに入った4小節間、Vl1Vlcのユニゾンのスラーは3回切れ、それぞれ5拍半、3拍、2拍です。ここは第一主題に繋がる重要な箇所で、聞く方にはC-B-As-Gが5回繰り返して聞こえます。普通にスラーをかけるのならば、このC-B-As-Gの単位で書くべきと思えます。

 

 エグモント序曲、Allegro、主題提示部

 

もっと不可解なのは主題再現部の箇所で、Vl1VlaVlcのユニゾンで、同じC-B-As-Gの旋律を弾いているのにスラーのかけ方が違います。

 

 エグモント序曲、Allegro、主題再現部

 

これはどうしたことだろう? いろいろ当たってみて、どうやら次のことがわかりました。

スラー記号は、マンドリン音楽では「トレモロで弾く」を意味するのと同じように、バイオリンなど擦弦楽器では「ひと弓で演奏する」ことを示す奏法記号でもあるそうです。そうなれば、冒頭・主題提示部のスラーはボウイングを指示したもので、最初はゆっくりとした弓の動きがだんだん早く激しくなり、その激しさをもって第一主題に入っていくという作曲者の意図がよく理解できます。

 

その解釈でよいのなら、マンドリン合奏で弾く場合にはスラー本来の意味をとればよく、冒頭4小節間についていえば、スラーの切れ目は気にしないでなめらかに弾ききりましょう、ということになります。

 

こうした場合、私たちが心掛けるべきものは、そのフレーズ(楽句・楽節…楽曲の旋律線の自然な区切り)になってきます。フレーズは、多くのクラッシック曲やポピュラー曲では4小節単位で現れるので、すぐ思い当たります。

フレーズの途中でスラーの切れ目があっても、そこは次の音につなげる弾き方…マンドリン系ではトレモロを打ち直す…で対応し、フレーズを損なわず美しく弾くことが大切なのではないでしょうか。

 

このスラーの意味、筆者を含めて多くの人が知らないか、勘違いをしているようです。なかには「切れ目重視!」するあまり、休符を感じさせるような弾き方を指示する方すら見かけます。そんな事をしたら、フレーズが途切れてしまうでしょうに。

スラーの切れ目がボウイングを指示するものなのか、それともフレーズの区切りを意味するものなのか。今後は十分に検討をする必要がありそうです。

 

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第320回 パッションを高める                          平成28年12月17日

 

演奏会が終わると、ほっとします。とりあえず楽器を仕舞いこんでしまって、今まで練習をしていた時間、ついぼうっとしています。

 

こうした時間も、必要なのかもしれません。ジャンルは違いますが、クリエイティブ・ディレクターの箭内道彦氏が語っています。箭内氏は東京芸大を目指して上京しますが、入試に3回失敗。そこで思い直したのは、自分の作画態度だったそうです。

 

…自分は昔からデッサンが得意で、予備校でも「すぐにでも合格する」と言われていた。しかし、結局3回も不合格だった。それは「受験のためのつまらない絵を、パッションのないまま描いていた」からなんじゃないだろうか?、と。

 

そこで箭内氏は「描きたい」という初期衝動にもう一度出会うまで、絵を描くのをやめました。故郷へ帰り家業を継ぎ、翌年の入試まで鉛筆も絵筆も持たなかったそうです。

その年の芸大入試。課題の絵は「小手先の技巧が抜けて、気持ちで描け」、3度目ならぬ4度目の正直で芸大に合格しました。

 

情熱・パッションを高めるのに、休むのは有効な手段です。

ただ、舞踊や運動、それに音楽など体や楽器を使う方には、こういう格言もあります。

「一日練習を怠ると私にはわかる。二日怠ると批評家はわかる。三日怠ると聴衆がわかる。」

パデレフスキーの言葉といわれています。

 

次のシーズンに向けパッションが高まるまで、基礎練習や教則本のおさらいを。そして一日5分でいいから楽器を触っておきましょう!

 

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第321回 大河の曲                              平成28年12月24日

 

世に「サザエさん症候群」なる病があるそうです。日曜夕方、あの陽気なメロディが流れてくると、明日からの仕事を思い憂鬱になるのだとか。

 

しかし、今年は症候群に陥る方は少なかったのではありませんか? なぜならそのあと、憂鬱な気分を払拭する大河ドラマ「真田丸」が放映されていたのですから。全50回の平均視聴率はなんと16.6%!そのオープニング、あの独特なバイオリンの響きを聞くと、ワクワクドキドキしてテレビの前に陣取っていたのではありませんか?

 

かようにオープニング曲・メインテーマ曲はその物語・ドラマを印象付けます。

今年のオープニング曲(「真田丸」メインテーマ)は、知略・策略渦巻く中戦い抜いた真田家と幸村をよく表した曲だと思いますが、実はかなりの難曲だそうです。某プロの方が「私には無理です」と言ったとか? いくつかの団体さんが演奏していますから演奏不能というわけではなく、物語の内容と曲・曲想があまりにもよくマッチしていて、改めてマンドリンで表現するには難しい、ということなのでしょう。

 

さて、来年の大河ドラマは「おんな城主・井伊直虎」。初めて聞く名前ですが、徳川四天王の一人、井伊直の母だということです。男社会の戦国の世に、武将として一族を保った女性であり、非凡な才が伺えます。

さて、どんな曲がつけられるのでしょうか。

女性が主人公の回で言えば、2008年の「篤姫」のテーマが印象に残っています。幕末という激動の時代に翻弄されながら、凛として立つ「篤姫」を描き出した佳曲でした。「篤姫」は御台所…将軍の正室ですが、「おんな城主」はどのように描かれるのでしょうか。

 

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