Member’s
Voice Bachnumber 11…2015(平成25)年7〜12月
Backnumber11目次→ |
7月 |
10月 |
||
8月 |
11月 |
|||
9月 |
12月 |
|
|||||||||||||||||
第245回 神奈川マンドリンフェスティバルに出演しました 平成27年7月4日 快晴の6月28日、第33回神奈川マンドリンフェスティバル(KMF)が横浜市栄公会堂にて開催されました。今回は神奈川県内で活躍する8団体が出演。マンドリンオリジナル、クラッシックアレンジからポピュラー曲まで、各団体の特色を生かした様々な曲が披露されました。 アンサンブル青葉は3番目に出演。昨年の「2014年定期演奏会」でのメイン曲、ベートーヴェン第5交響曲第2楽章を演奏し、好評を得ました。 さて、こうした合同演奏会では舞台・客席とも出入りが多く、落ち着いて鑑賞できない…という面があります。筆者の記憶でも、確かに集まってチューニングし、リハーサルをし、再度チューニングし、舞台脇で出番を待って出演し、退場後楽器をしまってようやく席に着いたらもう終わりたった…というようなことが実感で、他にどんな団体さんが来ているのか、どんな曲を演奏したのか、あまり記憶に残っていなかったようです。 そこで、KMFでは進行を思い切り簡素化しています。 まず昨年からリハーサルをなくしました。それに加え、今年は出演団体も客席待機とし、客席から直接舞台へあがるようにしました。 また、舞台配置も最大人数の合同合奏の配置のままにし、各団体はその人数に合わせて適宜調整して着席するようにしました。 このような思い切った簡素化により、客席の出入りが少なくなり、参加したほぼ全ての団体がお互いの演奏を聞きあうことができるようになりました。 人数の多寡・曲の傾向・老舗の団体から結成したばかりの団体と、お互いにお互いの特色を出し合えるよい機会に、参加各団体とも大好評のうちに無事閉幕となりました。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第246回 ポジション取り 平成27年7月10日 マンドリンオーケストラの楽器の中で、使われ方が一番進歩したのがセロでしょう。セロの高音部を意識した曲が次々と発表されています。近年はマンドセロだけの演奏会も開かれました。 活躍の場が広がるのは嬉しいことです。そして、それと共に楽器の工夫、演奏時のポジション取りをよく研究する必要があると思います。 譜例をご覧ください。これはある曲のセロパート譜の一部です。 ひと昔前であれば、このようなアルペジオはまずギターの担当でした。 それが、なぜセロに? ともあれ、まず弾いてみましょう。どう弾きますか? 普通に第1ポジションで弾くのもいいでしょう。 1拍目の裏から2拍目の符点2分へはかなり飛びますから、音が切れないよう注意して下さい。 しかし、もうひとつやり方があります。 ハイポジションを使ってみてください。1拍目から、それぞれG線・D線・A線を使って、弾いたあと指を離さずにそのまま響かせて見てください。 きれいな和音が聞こえませんか? もちろん記譜では8分+8分+符点2分ですから、最初の8分の音が残っていてはおかしいという意見はありましょう。 しかし、構成音は1小節目がFa−Do−FaでFの和音、以下Sol−Re−SolでG、Do−Sol−DoでC…の進行ですから、音が残っていたとしてもおかしくはありません。いや、むしろこの部分はそのように弾くべきだと思います。 きっと編曲者は、セロの高音部の音のポジションがわかっている。だからこそ、このアルペジオはギターよりもセロの方がいい、と思ったのではないでしょうか。 そうだとすれば、断然ハイポジションを使うべきです。 正確なチューニングと、音が豊かに美しく響くように弾かなければなりません。 演奏者もハイポジションを熟知していること、また楽器がそのポジションで歌うよう、普段から意識して使っておく必要があります。 作家(作曲者・編曲者)が譜面に込めた小さな思い。それをいかに読み取っていくか、演奏する私たちの感性が問われてきそうです。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第247回 マンドリン音楽を楽しむ会に出演しました 平成27年7月18日 快晴の12日、東京都内で九州大学マンドリンクラブ同窓会(MCK)による「2015年 マンドリン音楽を楽しむ会」が開催され、アンサンブル青葉からKUMC出身の5名が参加しました。 12回を数えます「マンドリン音楽を楽しむ会」。 今年は2部構成とし、第1部では石井氏・佐々木氏の指揮によりマンドリン合奏曲5曲が披露されました。 第2部では、元日本マンドリン連盟会長の清正 寛氏の指揮・第24回日本マンドリン独奏コンクール出演の山北氏の独奏も含め3曲が披露されました。 出演は30名。髪に白いものが混ざる方から、近年卒業したばかりという若い人まで、平均年齢は63歳の熱演に、会場からは大きな拍手が沸き起こっていました。
【演奏曲】 第1部:いそしぎ(J.Mandel)、雪−ロマンツァとボレロ(Lavitorano)、ロシア民謡メドレー(武藤理恵編)、 めぐり逢い(Gagnon)、夏の庭(Slvestri) 第2部:愛の歌(Munier、マンドリン独奏・山北氏)、チャルダッシュ(Monti、マンドリン独奏・山北氏)、初秋の頃(桑原康雄) アンコール:ノクターン(Copertini) |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第248回 土門 拳 平成27年7月25日 写真家の土門拳(1902〜1990)に、下町の子供たちを撮ったシリーズがあります。戦後間もない下町で、チャンバラやコマ回しに興ずる子供たちを生き生きと写し撮った作品です。 このシリーズを撮るとき、土門はカメラをぶら下げて子供たちの輪に入っていく。写真そのものが珍しかったころのこと、子供たちは土門が下げているカメラに興味深々です。 そんな子供たちに、土門は好きなだけカメラを触らせてあげたといいます。構えさせる、ファインダーを覗かせる…やがてカメラに飽きて遊び始めた子供たちを、土門はカメラに収めていったのです。 このとき土門が使っていたカメラはライカ。「ライカ一台で家が一軒建つ」と言われていた頃のことです。シロウト目には、落としたり壊されたりしたらどうしよう…と思ってしまいますね。土門の度胸の良さ、でしょうか。 さて、私たちの楽器。これを誰かが貸してくれ…と言ってきたら、どうしますか? 何年か前に小学校で演奏した時は、わざとそういう時間を作りました。子供たちは見たこともないマンドリンという楽器に興味深々。構えたり音を出したり、皆笑顔で過ごせたステキな触れ合いのひとときでした。 一方、そこそこ腕に自信がある人が「ちょっと触らせてよ」ということがあります。そして、こういう時が一番困る。相手の技量・楽器に対する考え方がわからないからです。 知人のベーシストは、うっかり貸してしまって楽器(ネック)に傷をつけられたことがあるといいます。ジャズのセッションでのことで、飛び入りの人に貸したそうですが、その人はネックに爪を立てる癖があったようです。 ベーシストにとって、ネックは演奏者が直接手で触る大切な所です。彼のショックは大きく、以来他人に自分の楽器を貸すのは一切お断りしているとか。 この気持、わかります。楽器に関しては、とても土門拳になれそうもありません。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第249回 夏の調 平成27年8月1日 8月に入りました。夏真っ盛りです。 練習もなかなか進まないですね〜。 ところで、夏のイメージの曲はどんな曲でしょう? 筆者にとって日本の夏は、真っ青な空と白い雲。青い海に深緑の山、まぶしい太陽…。 緑や青をイメージするのは、へ長調やト長調あたりと言います。 また、太陽はニ長調でしょうか。いや、ぎらぎら照りつける真夏の太陽です。ここは平明なハ長調ではないでしょうか。 調性に色を感じるのは「色調」といいます。 ヘ長調の曲ではなんといってもヴェートーベン第6交響曲「田園」です。まさに田園=緑のイメージ。また、ト長調の曲では、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークでしょうか、真夏の夜会という感じです。 そして、ハ長調では同じヴェートーベン第5交響曲第4楽章。あの強烈なファンファーレは苦悩を乗り越えた所に輝く太陽のイメージです。 暦の上ではまもなく秋を迎え、徐々に落ち着いてくる気配です。 そうすると今度は短調の曲が欲しくなりますね。それまで、もうしばらくの辛抱です。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第250回 福祉施設で演奏しました 平成27年8月8日 去る8月1日、メディカルホーム「くらら青葉台」で、アンサンブル青葉メンバーが演奏しました。 「くらら青葉台」では毎年この時期に入居のお年寄りとそのご家族を招いた「夕涼みディナー会」が開催しています。ディナーの後での特別ゲストにお招きいただきました。
演奏曲目:ベニスの夏の日、浜辺の唄(合奏) 青い山脈、高原列車は行く、みかんの花咲く丘(歌:伴奏) 影を慕いて(三重奏) 見上げてごらん夜の星を(合奏) 慕情(アンコール・合奏) 入居の方(80歳代から100歳代までの方)にとっては懐かしい曲ばかり。特に歌になると、皆さんの歌声が響きました。また、歌詞カードのない曲も、口ずさんでいる方が沢山おられました。 お客様と職員の方の笑顔に支えられ、私たちも素敵な時間を過ごすことができました。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第251回 童 謡 平成27年8月15日 前回の施設訪問記を書いていてふと気がついたのは、この施設訪問では同じような曲が多いな…ということでした。 そこはほら、古賀メロディや「青い山脈」は人気ですし、マンドリン編曲の美しさを選べば「浜辺の唄」、子供たちが相手なら「ジブリ」の曲とある程度定番が決まっていますから…。 その中で「みかんの花咲く丘」「里の秋」は、2曲とも、あるいは何れかをやっています。 この2曲、作曲は海沼實。「音羽ゆりかご会」の創設者で本邦を代表する童謡作曲家です。 「里の秋」は終戦の年12月発表。 当時660万人と言われた外地引揚者を暖かく迎えようと作られたこの曲は、放送されるや全国から問い合わせの電話が鳴り響き、手紙が殺到するなど大きな反響を呼んだといいます。 そして「みかんの花咲く丘」は昭和21年の発表。東京と静岡県伊東市を結んだ初めての2元放送で放送され、戦争の影の微塵もないこの曲も「里の秋」と同様に大ヒットとなったのです。 そんな海沼も戦時中は不遇をかこっていました。童謡などもっての外の時代、やむなく戦意高揚の曲を作らざるを得なかったこともありました。 しかし戦争が終り作曲への制約がなくなったとき、先の2曲をはじめ「蛙の笛」「夢のお馬車」など次々と発表。戦後の荒廃した世相の中で、日本人、とりわけ子供たちに癒しと希望の歌を送り続けたのです。 終戦の日の今日、改めて海沼實の功績に敬意を表すとともに、自由に曲を作り、自由に歌い・演奏することの素晴らしさを噛みしめていきたいと思います。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第252回 リンゴの唄 平成27年8月22日 さて、終戦直後の曲といえば、この歌を欠かす訳にはいきません。 サトウハチローの作詞、万条目正の作曲、並木路子が歌った「リンゴの唄」は、終戦直後の荒廃した世相に明るい希望を吹き込み、空前の大ヒットとなりました。 ところでこの歌、映画に合わせて戦後に作詞されたものと思っていたのですが、実は戦争中に作詞されていたと聞いてびっくりしました。しかも、当時の軍の検閲で「時節柄、軟弱すぎる」と出版不許可になっていたのです。 サトウハチローがこの歌を作詞した頃、リンゴの産地・青森県清水村(現:弘前市)はまさに受難の時代を迎えていました。 戦争の長期化により食糧事情が悪化。政府・軍部は主食(コメ・イモ)の生産を奨励、しかしリンゴ農家には、「リンゴは贅沢品だ!!」と転作を強要したのです。 産地ではまず、新しい木を植えることが禁止され、ついでリンゴ農家に農薬・肥料などが配給されなくなります。 そしてついに1944(昭和19)年11月、リンゴの木は強制伐採されます。清水村で3600本ものリンゴの木が伐採され、ジャガイモ畑などにされたのです。 サトウハチローの祖父・佐藤弥六は元弘前藩士で、「林檎図解」を著すなど明治期の青森でのリンゴ栽培を指導した先駆者でした。 ハチローはこの祖父に可愛がられ、リンゴには特別の愛着があったようです。 祖父が手掛けたリンゴ栽培が、失われていく…。「リンゴの唄」には、そんな悲痛な思いが込められているようです。 そして終戦。 1942(昭和17年)年には21万トンだった青森のリンゴ生産量は、1945(昭和20)年には1万8千トンに激減。生産量が戦前の水準に回復するのには、4年の歳月が必要でした。 自由に作ることができ自由に買うことができる真っ赤なリンゴ。それは、歌と共に戦後復興の象徴だったのではないでしょうか。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第253回 夏のおもいで 平成27年8月29日 先日、現役の学生諸君とOBとの会合がありました。学生諸君は夏季休暇も終盤に入り、今は強化練習中。そして待望の(?)夏合宿へ臨みます。 かくいう筆者もン年前、1年生の夏、初めての合宿に臨んだものでした。 1年の初心者はマンドリン組とギター組とに分かれ、3年を講師役にまずは基礎練習。基本的な楽器の構え方や音階、マンドリンならダウン・アップからトレモロなどを学んだあと教則本(オデル・カルカッシ)に取り組んだものです。 マンドリンの場合はOdellの40番が目安で、この40番が弾けるようになったときコンマスがチェックし、OKをもらった人は晴れて合奏に参加できるようになります。 1年生にとって、この合宿中に教則本をあがって合奏に参加できるようになるのが第一目標。何人もいた1年が1人、またひとりと教則本をあがっていくと、自分だけが取り残されたような気になってなんとも心細いものでした。 また、ようやく教則本をあがってコンマスのチェックを受けるとき。緊張したものです。何せ1年生にとって4年生は大先輩。ましてやコンマスは神様にも等しい存在で、その人と差し向かいで楽器を弾くなど、一大事件でした。 こうして晴れて合奏デビュー。しかし初めての合奏曲では曲を見失ったり、飛び出したりと事件は続きます。また、合奏・パート練習が終わった後は深夜、いや明け方まで続く個人練習と、マンドリン漬けの毎日でした。 こうした合宿の洗礼を乗り越えて、さて今年はどんな新人さんが合奏デビューするのでしょうか。 彼ら彼女らの活躍を期待します。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第254回 全日本アマチュアギターコンクール 平成27年9月5日 8月29日(土)、第16回全日本アマチュアギターコンクールが行われました。 当アンサンブルの代表・藤アがこれに挑戦し、見事2位に入賞しました! 参加94名、2度の録音審査ののちステージ上での最終予選、そして10名による本選を経ての入賞でした。 全日本アマチュアギターコンクールは、全日本ギター協会が主催する本邦最大級のアマチュアのギター独奏コンクールです。 「アマチュアギタリストの支援・親睦交流」と「ギター音楽の普及と発展を図ること」を目的としたコンクールであり、参加資格は、目的を反映して「趣味としてギターを楽しんでいる20歳以上の社会人(学生不可)」で「過去にこのコンクール1位、他のコンクールで1〜3位に入賞していない」こと。 2000年の第1回以来毎年8月に行われ、ハイアマチュアのギタリストの目標になっています。 さて、こうしたコンクール出場には、毎日の練習が欠かせません。しかし、私たち社会人にはそうした練習にかける時間は限られたものにならざるを得ません。 そうした中で参加された方は、日々の練習時間の確保・練習内容に並々ならぬ努力と工夫があったことでしょう。そうしたご努力に対し、最終予選・本選に出場された方はもちろん、参加したすべての方に惜しみない拍手を送りたいと思います。 ところで、藤アはどのような練習をしたのでしょうか? 近日中に「挑戦記(仮)」掲載予定です。お楽しみに… |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第255回 アマコン挑戦記 平成27年9月12日
「我 アマコンヲ カク戦ヘリ」 「ギターを上手くなりたい」 2年前、42年間勤めた会社を定年退職するとともにこの想いが募ってきました。なかなか思うように上達せず悩んでいたのですが、昨年の春、演奏会を聴きに行ったのがきっかけで、あるギター教室に入門することになりました。 入門し2ヶ月ほど経った頃、先生から「試しにコンクールに出てみない?」と勧められたのです。それまではコンクールなど縁の無い世界の話、出場するなど考えたことも有りませんでしたが、これも1つの経験、とチャレンジしてみることにしました。 それが今回入賞した「全日本アマチュアギターコンクール」です。 このコンクールは予選が大変なのです。 まず、1次予選はテープ審査です。今年の課題曲は「愛のロマンス」でしたが、ここで約100名に絞られます。 これに受かると2次予選、これもテープ審査で、課題曲は「メヌエット ハ長調 Op.25(ソル)」でした。ここで更に約50名に絞られ、3次予選に進みます。 3次予選からステージ審査になります。会場は三鷹市芸術文化センター。素晴らしい音響のステージで、1人ずつ課題曲「ワルツ ニ長調(タレガ)」を演奏。ここで本選に進む10名が選ばれます。 いよいよ本選。10人が自由曲(5分以上8分以内、曲数自由)を披露しあいます。 そしてこの中から、1位・2位・3位・次席(4位)と特別賞が選ばれます。 昨年は、3次予選止まりでした。そのときは「歌い方が平凡」との講評でしたので、今年は自分が感じた「曲の良さ」を最大限に表現する事を目標としました。 具体的には、つぎのような事をしました。 @オーケストラを指揮するように、指揮の真似をしながら口で歌ってみる A録音して聞く →自分が演奏している音は、気付かないうちにくどくなりやすいので、客観的なチェックが必要です Bフレーズとフレーズの間(ま)のチェック →指の移動が困難なところでも、不自然でない間を入れて失敗するリスクを避ける C全ての運指を見直す →たとえ譜面に指示されている運指であっても、もっと良い音が出て、失敗が少ない運指が無いか常に探す D和声学の本を読み直す Eよい演奏をたくさん聴く F本番前の少なくとも2ヶ月間は、毎日練習 →私も66歳になり、さすがにプロのように毎日8時間も弾くことは無理です。長くても2時間ぐらいで切り上げるようにしましたが、毎日の練習は必要です。 G「あがらないための訓練」する →練習でどんなにうまく弾けても、本番で普段の力を発揮できなくては何にもなりません。対策は出来るだけ多くの機会に人前で演奏すること…これが「あがらないための訓練」です。そのため、私は慰問演奏やギターサークルの内部発表会、スナックでのイベントなど、積極的にソロ演奏するように心がけました。 色々書いてきましたが、最後は「どれだけ楽しんで演奏できるか」が最も重要なポイントだと思います。演奏者が演奏を心から楽しんでいなければ、どんなによい曲を弾いても審査員に楽しさは伝わりません。 課題曲は選ぶ事が出来ませんが、自由曲はそれができます。自分が一番好きな曲を選びましょう。これがコンクールを進んでいくための大事な一歩になります。ちなみに、私が選んだ自由曲は「ソナタ第1番(アルベルト)」でした。 次の演奏会で皆さんに、感謝をこめた演奏をお届けできるかもしれません、お楽しみに! |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第256回 アマコン対談記 平成27年9月19日 ――藤崎さん、全日本アマチュアギターコンクール2位入賞おめでとうございます。 「ありがとうございます。おかげさまで、2年越しの挑戦で受賞できました。」 ――前255回の「我 アマコンヲ カク戦ヘリ」は多くの方から反響がありました。そのなかで質問がありましたので、回答をお願いします。 ――まず@「オーケストラを指揮するように、指揮のまねをしながら口で歌ってみる」とはどのような練習なのでしょうか? 「曲を練習する中で、テンポルバートの歌わせ方やフレーズとフレーズの間の取り方など、いくつか迷う所がありました。そんな時に指揮をしながら口で歌ってみたのです。」 「棒を振るとリズム感もつかめます。そうして演奏をイメージしていったのです。出来たイメージは実際に演奏しAのとおり録音して、不自然さがないか確かめてみました。」 ――なるほど、演奏のイメージ作りでしたか。 「はい、私は指揮の経験がありますのでこの方法が有効でした。3次予選課題曲(「ワルツ ニ長調」 タレガ)は処理が難しい箇所が3ヶ所ありました。出場した方は一様にそこに苦労されていましたが、私はこの方法で何とか解決できました。」 ――ありがとうございます。自分の演奏を録音してみる、というのも卓見だと思います。やはり自分の演奏を客観的に聞くことは、大切なことだと思います。 ――さて次の質問ですが、C「全ての運指を見直す」とは、どういうことでしょうか? 「私は、譜面に記載の運指は絶対的なものだ、と思っていました。しかし、ギター教室の先生から『弾きやすく良い音が出る運指がその人にとって良い運指だ』と助言を受け、見直すことにしたのです。」 ――その効果はありましたか? 「はい。3次予選課題曲のなかで、記譜通りの運指では成功率50%位だった箇所がありました。運指を見なおした結果、成功率100%、間違いなく弾けるようになりました。」 ――それは素晴らしいです! この全日本アマチュアギターコンクールでは「間違えても大きな減点とせず、その後いかにカバーして曲をまとめるか」も評価しているようですが、間違えずに弾くことはコンクールでは大事な基本です。 ――さて、最後の質問です。D「和声学の本を読みなおした」のはどうしてでしょうか? 「ギターは複数の音を出せますので、常に裏にコードを持っています。そしてコードはそれぞれ表情を持っています。コードを意識して演奏することは、そのコードが持つ表情の表現をする、ということになります。」 「その音をどのように表現するのか。強い音・弱い音なのか、硬い音・柔らかい音にするのかなどは、コードがヒントをくれます。コードがわからなくても、コード進行の例が参考になります。和声学の本はその根本を解説していますので、読んでいると得る所が大きいです。」 ――なるほど、これはマンドリンなどメロディー楽器にも応用できそうですね。 「ええ、合奏などではパート譜だけでなくスコアも見ながら演奏すると、よくわかります。私はタブレット端末にスコアを入力して携行し、疑問に思ったときはすぐにスコアを確認するようにしています。」 ――よくわかりました。今日は貴重なお話、ありがとうございました。 「ありがとうございました。」 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第257回 青葉は北へ 平成27年9月26日 今年の夏は暑かったですね。また、自然災害に多く見舞われた夏でした。 九州・桜島、阿蘇山や口永良部島の噴火、そしてついこの間の関東・東北豪雨などがありました。被害に遭われた方に心よりお悔やみとお見舞い申し上げます。 さて今月末というともう来週ですが、アンサンブル青葉は福島市に演奏へ行ってまいります。 これは、実は4年越しの演奏旅行です。そう、東日本大震災で被災した方々に何かお手伝いすることはできないか?と考えていたことの実行です。 なにしろ、情報がありませんでした。ニュースを見ても、少しずつ復興していく様が報じられる一方で、未だ立ち入りが規制されている地区があり、震災当時まま片付けられもしない地区があったりと、様々でした。 そんな中、福島市の担当部署に伺ってみますと、浜通り(福島県の沿岸地方のことです)から福島市(中通りといいます)へ避難してきた方々への援助がまだまだ必要です、とのお答えがありました。 私たちは演奏団体です。もし私たちの演奏が少しでも被災した方々の心の支えになるならば、喜んでお役に立ちたい。 幸い、福島市が行っている被災者の方々向けの演奏会に出演できることになりました。 演奏は9月30日(水)、福島市音楽堂小ホール、10時開演(入場無料)です。 お誘い合わせのうえご来場ください。心を込めて演奏させていただきます。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第258回 福島訪問記 平成27年10月2日
快晴の29日、訪問メンバー11名は江田駅前に集合。車3台に分乗し、一路北へ向かいました。 途中、都内を抜けるまでの混雑に閉口。昼食休憩予定のSAが、行き過ぎた車があって急遽に変更になったり、また北上するにつれ美しく黄金色に輝いている田んぼに目を奪われたりと、少しはしゃいでのドライブです。 午後になって郡山市のデイサービス「はるかぜ」に到着。今日はここで演奏です。 「はるかぜ」さんは、郡山市の中心から車で10分程の住宅地にありました。 入居の方約20人、そして職員の方の前で演奏です。 皆さん、マンドリン合奏は初めてとのことでしたが熱心に聞いてくださいました。 なかでも童謡集を演奏した時のこと、「みかんの花咲く丘」「里の秋」のメロディが流れると、入居の方から期せず歌声があがりました。演奏する私たちが逆に感動してしまい、思わずもらい泣き…。
ちなみに「はるかぜ」さんで演奏することになったきっかけは、会長のSNSです。これだけ地域を越えての演奏はなかなか無いものですが、これも現代のネット社会の賜ですね。 翌30日、仕事で遅れてきた2人が合流し、総勢13名での演奏となりました。 会場は福島市音楽堂小ホール。音響のよいこのホールに、約150名のお客様が集まってくださいました。 お客様は、大震災と原発事故のため、浜通り(福島県沿岸部)から福島市に避難している方々です。 故郷を離れ福島市で公営住宅や仮設住宅などに分散しているため、元の市町村のコミュニティーが無くならないように月2回集まっているそうで、その集まりの場にお邪魔して演奏させていただいたのです。 皆さん、とにかくにこにこと暖かく、熱心に聞いて下さいました。知っている曲には歌を口ずさむのは、昨日の「はるかぜ」さんでの演奏の時と同じです。 私たちも演奏に熱が入り、あっという間に最後の曲、「浜辺の唄」が終了してしまいました。 アンコールは地元・福島出身の古関祐而による「スポーツショー行進曲」。皆さんの手拍子に支えられ、演奏することができました。
終演後は観客の皆さんとの記念撮影がありました。 その時、わずかな時間でしたが、被災された方と言葉を交わすことができました。故郷への愛着と帰宅できない哀しさ、これからの生活に前向きに生きていこうという思いを感じました。 そうした方々に、「スポーツショー行進曲」がエールとなって響いていってほしいと願いながら、福島市を後にしました。 演奏曲(2回共通) 古賀メロディ傑作集、旅愁を主題とする変奏曲、愛の挨拶、エターナリー、踊り明かそう、 プリンク・プランク・プルンク、スペインの花、海沼實童謡集、古戦場の秋、浜辺の唄、 スポーツショー行進曲(アンコール) |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第259回 心の旅 平成27年10月10日 ギターパートでない皆さん。今ギターを渡されたら何の曲を弾きますか? 先日、人事面談のときのこと。主要な面談が終わって面接担当者と雑談になったとき、音楽の話になって盛り上がりました。筆者は開催予定の演奏会の話、筆者と同年輩の面接担当者は、高校の時バイトでためたお金でギターを買った話をしてくれました。 ギターは、私たちが学校教育のハーモニカやリコーダー以外でもっとも身近に手にする楽器ですね。何か思い出の曲はありませんか? 筆者の思い出といえば、姉のガットギターを持ち出してぽろんぽろんと弾いていた曲です。家に簡単な入門書があり、それに載っていた譜面は「イエスタディ」でした。 当時はNHKの「名曲アルバム」に荘村清志さんの「アルハンブラの思い出」が流れていたこともあり、「禁じられた遊び」とともにいつかは弾いてみたい曲でした。 やがて中学になると、当時はフォークソング流行りだったこともあり、フォークギターに転向。このころ思い出の曲といえば、「心の旅」です。音楽の時間前、よく級友と下手な伴奏を弾きつつ歌っていました。 あと徒然に思い出すのは、「いちご白書をもう一度」や「22歳の別れ」、「岬めぐり」などなど。 また、「なごり雪」もよく歌いました。この歌、初めに聞いたのはイルカが歌ったものですが、何となく違和感を抱いていました。それが、北海道は釧路のユースホステルで伊勢昭三が歌った原曲を聞き、たちまちファンになってしまったのは不思議です。 やがて受験・進学を迎え、いつしかギターを手にしなくなりましたが、また機会がありましたらぜひ弾いてみたいと思っています。 皆さんがギターを手にしたら弾きたい曲は、何ですか? |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第260回 “困った壺” 平成27年10月17日 前回の人事担当者との雑談の中で、「今は演奏会に向けて曲を作り上げていく時です」と言ったところ、「曲を作る?」とびっくりされてしまいました。筆者が作曲するとでも思ったのかもしれません。 もちろんお分かりのことと思いますが、「曲を作る」とは、演奏会に向け練習を積み重ね、表現を極めていくことです。 演奏はただ楽譜通りに音を出せばいい、というのではありません。まして、私たちは合奏をしています。多くの人が心を合わせて曲を作り上げていく、これが合奏の醍醐味であり、合奏をする喜びです。 そう思いつつ新聞をめくっていたら、ある投書が目に留まりました。 その投書の主は72歳。コーラスとオカリナをやっていて、やはり演奏会に向け練習に励んでいるそうですが、 「…本番はあっという間に終わる。友と数カ月から二年もかけて(曲を)作り上げたという達成感は、何とも言えない喜びでもある。」 と書いていました。うん、みな同じ心持なんですね。 そして、達成感のさらに先にあるものがあります。それを作家の伊集院静氏が最近のエッセイの中で触れています。エッセイそのものは戯曲家・劇作家について書かれたものですが、その部分を引用すると… 「…己の書いた芝居を舞台袖で覗いていれば、客の反応を、感動した様子を目の当たりにできる。大根でも役者はその喜びを知っている。これが芝居、演劇の“困った壺”でもある。」(文芸春秋11月号「文字に美はありや」第23回より) 芝居・演劇に演奏会を付け加えましょう。 そして、この“困った壺”こそ私たちが追い求めているものの正体に違いありませんぞ。 “困った壺”を追い求めて、さあ、あとひと息です。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第261回 演 劇 論 平成27年10月24日 林芙美子の生涯を描いた舞台「放浪記」。亡くなった森光子さんに替わって、今年から仲間由紀恵さんが芙美子役を演じ、話題になっています。 その仲間さんが石坂浩二さんと「放浪記」について対談。その中で「役者はいかに演ずるべきか」という演劇論を語り合う場面があり、二つの説が紹介されています。(文芸春秋11月号) まず、とにかくリアルにリアルに、という「リアリズム演劇」の理論。 「役者が本当にその役に入り込めば、作りもののストーブであっても暖かさを感じるであろうし、手を置けば火傷をするだろう」というもの。 次いで、「演じきるとか役になりきる、なんていうことはない」という説。 「自分の半分は舞台の一番前に座らせておけ。その半分がどういう顔をしているか、絶えず気にしながら演技をしなさい」というもの。 さて、みなさんはどちらに賛同しますか? この二つの説を紹介したのは石坂さんですが、石坂さんは「役になりきって自分だけ納得してもダメなんです」と、後者に手をあげているようです。 このやり取りから感じたのは、「大切なのは、常に自分の演技を客観的に見ているもう一人の自分であり、その目線はお客様の目線である」という意識です。そしてその根底にあるのは「演劇・芝居というものはお客様に見ていただいて成立するものである」という覚悟なのではないでしょうか。 さて、この話、直ちに音楽にあてはめるわけにはいかない、かもしれません。しかし、少なくとも舞台に立ちお客様をお迎えするということでは同じです。 演奏会本番に向け追い込みの時節ですが、ちょっとだけ立ち止まって、「この演奏でほんとうによいのだろうか」「この曲目・構成で、お客様に楽しんでもらえるだろうか」…などと考えてみてもいいのかもしれません。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第262回 歌のオススメ 平成27年10月31日 先日、現役の学生さんに教える機会がありました。他人に教えるのは何年ぶりでしょうか、緊張しながらの指導です。 さて基礎練習を終え、練習曲に校歌を選んだのですが、今の学生さんは校歌を歌えないことがわかってびっくりしました。日常的に歌う機会がないらしいのですが、これも時代の流れでしょうか。 とにかく校歌を覚えること、そして校歌を演奏するときは校歌を歌いながら弾くようにと話しました。 ところで校歌に限らず、歌曲を編曲して演奏する機会は多いですね。その際演奏しながら(実際に声に出さなくてもいいので)歌ってみることをお勧めします。 いろいろなメリットがあります。 まず、自分のパートがその曲の中で何をやっているか、明確になります。自分は今、主旋律を弾いているのか副旋律なのか、伴奏なのかリズムなのか、あるいは合いの手を入れているのかよくわかります。 次いで曲の構成・フレージングがわかります。 特にフレーズが弱起で始まる場合、記譜の仕方によってはそれが譜面上現れないことがありますので、フレーズの把握に有効です。 そして、なによりも弾いていて楽しくなりませんか? メロディをやっている人は思い切り歌えますし、伴奏やリズムをやっている人は、メロディを引き立たせるように演奏できます。自分の弾いている音が曲全体に調和していくのが感じられるはずです。 歌うだけの余裕がない方も、ぜひ歌詞を譜面に書き入れてみてください。きっとお役に立ちますよ。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第263回 仕込みとバラシ 平成27年11月7日 タレントのラサール石井さんが、舞台の裏方さんを主役としたミュージカルを開きます。 公演の度お世話になる裏方さんにぜひ感謝を捧げたいと、自ら原案・作詞・演出を手掛けてのことです。 各劇場・ホールには裏方さんがいます。私たちの演奏会も少なからずお世話になっています。 ある演奏会の一日を想像してみましょう。 朝、ただッ広い舞台という空間に反響板が降りて来ます。山台が組まれ、椅子と譜面台が並べられ…あっという間に演奏会場に変身します。 お客様が入場し、開演ベルとともに客席が暗転します。そして眩いばかりの照明が舞台を照らし、演奏が始まります。 やがて終演。楽団が退席し、お客様がお帰りになるとさっそく撤収が始まります。 舞台の飾付がなくなり、椅子・譜面台が片付けられ、山台・反響板が取り払われると舞台はあのただッ広い空間に戻るのです。 そうした一連の流れは、裏方さんの存在なしには語れません。「見切る(お客さまに顔を見せること)のは恥」という矜持をもつ裏方さん達に、私たちも改めて感謝の気持を! |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第264回 6/8(続き) 平成27年11月14日 6/8拍子は1拍を3連符にとる2拍子だと書いたことがあります。 しかし、実際の曲はそんなに単純なものではないのは、皆さんご存じの通りです。 6/8は1小節に8分音符が6個入るということです。これは3/4と同じ音価ですので、6/8の曲は瞬時に3/4に変わります。2拍子から3拍子への変化であり、このリズム感の変化はよく使われています。 例えば、武藤理恵さんの「今宵・SAKARA」の中間部がそうです。基本6/8ですが、高音系と中低音系が2拍子系と3拍子系の別のメロディを弾いており、それが絡み合って桜が舞い散る幻想的な風景を描いています。 6/8を書き方によって3拍子にすることは随分昔からあったのでしょうが、それをはっきりと打ち出したのは、L.バーンスタインでしょうか。ミュージカル「ウエストサイド物語」の「アメリカ」です。 プエルトリコ系のシャーク団によって歌われるこの曲、故郷への憧憬・受ける小さな差別への不満、そういったものがありながら自由な国アメリカがいいと軽快なテンポで歌いあげています。1小節ずつ2拍子と3拍子が入れ替わる独特のリズム、これが曲を盛り上げています。 そしてもうひとつ、やはりミュージカル「ラ・マンチャの男」から「ドルシネア(姫)」と「アルドンザ」がやはり6/8と3/4の混合です。 「アメリカ」が全曲6/8で書いてあるのに対し、こちらははっきりと6/8と3/4で書き分けられています。 「ドルシネア姫」は、宿屋の女アルドンザを高貴なドルシネア姫と思いこんだドン・キホーテが想いを語る歌で、ここでは2拍子と3拍子が入れ替わるリズムがその滑稽さを醸し出しています。 一方「アルドンザ」は、そのアルドンザがドン・キホーテに向かって「私は高貴なお姫様なんかじゃない!」と自分を卑下し悪態をつく歌ですが、今度はそのリズムがアルドンザの感情を強烈に表しています。 頻繁にリズムが変り、演奏するにはちょっとしんどいところがありますが、曲の面白さには変えられません。ぜひ一度聞いてみてください。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第265回 青葉区民音楽祭「音楽百景」に出演しました 平成27年11月21日 去る15日、青葉区民音楽祭「音楽百景」が横浜市・青葉区公会堂で開催されました。 青葉区民音楽祭「音楽百景」は青葉区内で活動する各音楽団体が一堂に会しての演奏会です。 舞台ではアコーデオンあり、マリンバあり、弦楽奏のグループもありですが、私たちアンサンブル青葉はロビーコンサートで参加しました。
演奏前、ロビーに椅子を並べ始めるとさっそくお客様が集まり始めました。 そして最初の曲「踊り明かそう」が演奏されると聞きつけた人がさらに集まり、大盛況になりました。 今年はタンゴ特集です。 ロビーコンサートですからお客様との距離が短く、お客様も演奏を、私たちもお客様の反応をそれぞれ身近に感じます。 最後の曲「碧空」では大きな拍手をいただくことができました。
演奏曲 マイ・フェア・レディから「踊り明かそう」・プリンク・プランク・プルンク ☆
タンゴ特集 ☆ 薔薇のタンゴ・真珠採り・リベルタンゴ・碧空 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第266回 ボレロ 平成27年11月28日 学生時代のこと。当時はFM放送を録音する「エア・チェック」に夢中でした。 その日の曲はラヴィエルの「ボレロ」、オーケストラはBPO、指揮はカラヤン。最高の組み合わせです。 ご存じの通りこの曲はリズムが一定です。そして二つだけのメロディを各楽器がソロで、そして次第に楽器を増やして繰り返し演奏し、次第に盛り上がっていくという構成です。 さて曲が順調に進み、ホルンのソロに差し掛かった時、あれ!音を外した! あろうことかホルンがずっこけてしまいました。するとそれにつられたのか、それまで整然と刻んでいたリズムまで乱れてしまったのです。MISTAKEです。 何故ミスのある曲が流れたのか? 圧倒的迫力で曲が終結すると、怒涛の拍手・歓声が沸き起こりました。演奏会の実況録音版だったのです。 このテープは、筆者の宝物です。 BPOという至高のオケでもミスをすることがある、ということ。 そして、ひとつのミスが演奏全体をスポイルする可能性がある、ということ。 この演奏ではその後の圧倒的迫力で取り返したわけですが、私たちの場合はどうでしょうか。 メンバー各々の技量・演奏の完成度はもとより、アインザッツの乱れ・ピッチの差(特にバイオリン属の楽器はこれが重要です)など、メンバー間の僅かな差が演奏に与える影響は大きいものです。そんな起こりがちなものを、私たちはどこまで許容、あるいは突き詰めるのか。 そういったものを考えさせてくれる、貴重なテープです。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第267回 著作権の話 平成27年12月5日 ちょっと固いお話を。 音楽作品には著作権がつきものです。 本来は演奏する曲目ごとにJASRAC等の管理団体に申請し、著作権料を支払います。 しかし例外があり、「公表された著作物は非営利(利潤を目的としない)・無料(入場料を徴収しない)・無報酬(出演者への報酬はない)であれば公に上演し、演奏し、上演し、または公演することができ」ます。私たちの演奏会は、このルールによって著作権料の支払いを免除されています。 ところで、楽譜の方はどうでしょうか。 ここにも著作権が関係してきます。 まず、著作権料を支払わなくても済むものとしては、著作権が消滅したものがあります。例えば、バッハ・モーツアルト・ベートーヴェンなどの曲は、もう著作権が消滅しています(原則として、著作権は作者の死後50年間で消滅)。 また市販の楽譜を使って演奏する場合、市販譜は「公表された著作物」にあたりますから、「非営利・無料・無報酬」に当てはまる限り、著作権料の支払は発生しません。 しかし、例えば「今年流行したあの曲をやりたい」と楽譜を探したけれど、マンドリン合奏譜が手に入らない。そこで市販のピアノ譜を参考に自分でアレンジした、とするとどうでしょう。 この場合は、著作権料の支払が発生します。「今年流行した曲」ならば作曲者は現存でしょうし、当然著作権が発生しています。著作権のある曲のアレンジですから、著作権料がかかるのです。そしてこの場合の著作権料は「アレンジに際し原曲を使用する」という使用料にあたるようです。原曲に対して敬意を払い、手続きを取ってお支払いしましょう。詳細はJASRACなどに問い合わせてください。 さて、市販譜を手直ししたらどうでしょうか。 上記の例で「あの曲」の譜面を手に入れたけれど、編成等が自分たちのアンサンブルに合わない。そこである音を他のパートに移して演奏した、などという場合です。 この場合は、編曲にあたるのでしょうか? 筆者は、「ある音を他のパートに移して演奏した」という程度ならば編曲にはあたらないのではないかと考えます。 というのは、単に曲のKeyを変える(ハ長調をト長調にする、など)とか、あるパートを他の楽器で代用する(歌う所をピアノで弾く・フルートソロをマンドリンで弾く、など)だけでは編曲にはあたらない、とされているからです。 しかし、広義の著作権にはもう一つ、「著作者人格権」という概念があります。「著作者人格権」のなかに、「同一性保持権」…著作物のタイトルとその中身について、著作者の意に反する改変を受けない…という権利があります。そちらには、あたらないでしょうか? どんなに拙い譜面であっても、そこには作曲者・編曲者の努力と思いが込められているはずです。その思いを受け止めることが大切なのではないでしょうか。私たちに求められるのは、楽譜を書いた方・書かれた楽譜に対する敬意になると思います。 原曲・編曲譜を問わず、楽譜を利用するときにはそれを忘れずにいましょう。そうすれば、音を動かざるを得ない時も、節度ある対応が出来るものと思います。 以上、筆者が普段疑問に思っていることで、本やネット等で確認できたことを中心にお話しました。 しかし、著作権の問題はこれにとどまらずもっと広い範囲を含んでいます。上記はほんのアウトラインに過ぎません。 どうか曲を利用するときは、その権利関係がどうなっているか、JASRAC等管理団体に確認するようにしてください。 私たちが音楽を趣味とする以上、著作権の問題は避けて通るわけにはいきません。原曲の作曲者・編曲の編曲者への敬意を忘れずに、正しく運用していきましょう。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第268回 垣根の曲がり角 平成27年12月12日 季節は師走に入りました。冬至も間近く、本格的な冬への支度、年内の後始末、そして来年への準備と忙しくなります。 街路樹もすっかり葉を落としてきました。筆者の自宅周辺の街路樹はいちょうです。40年ほど前は苗木のようだった木も、いまは見上げるような大木になっています。 そのいちょう、雌木には銀杏がなり、道路にこぼれていました。山本周五郎の小説の中に、銀杏を拾って家計の足しにする子供の話がありましたが、残念ながら道行く人は見向きもしないようです。 実を散らした後、歩道はいちょうの落ち葉で埋まります。まるで黄色のカーペットを敷きつめたようです。 落ち葉といえば、かつては落ち葉焚きがつきものでした。 「垣根の垣根の曲がり角 たき火だたき火だ 落ち葉焚き…」 落ち葉に焼き芋を仕掛け、つまんだりしたことはありませんか? 12月。次第に慌ただしさを増していく季節ですが、ほんの少し昔を懐かしみ立ち止まってみませんか? |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第269回 舞台衣装 平成27年12月19日 先日、久々に母校の演奏会を聞きに行きました。懐かしさ半分、さすがに変わったな〜というのが半分です。どこが変わったか、といいますと… 舞台衣装 男性はオーソドックスに黒スーツにえんじのタイ、女性は高音系が白ブラウスに黒ロングスカート、低音系は男性と同じ黒スーツでした。 筆者の時代、女性はみんな白ブラウスと黒ロングスカート、男性も上はクリーム色のブレザーだったので、舞台上はずいぶん明るく華やかでした。また筆者といえば、普段Gパン姿の女性達の艶やかな姿に目を奪われることしきり…。 山台を使わない 社会人の団体でも使っていない所がありますが、どんなものでしょう。 もちろん、使わないメリットはあります。舞台が広く使え、配置換えも容易。経費も抑えられます。 しかし、列の後ろの奏者は指揮者が見づらい。またお客さまからも見えづらいですね。 舞台構成・舞台面積と乗る人数もバランスとの兼ね合いがありますが、せっかくの晴れ舞台です。山台を組んだ方がいいのではないか、と思いました。 管・パーカッションを使わない 母校のクラブに限ってなのでしょうか?あるいは、最近のオリジナル曲は基本の弦6部だけで書かれていることが多く、これに合わせているのかもしれません。 しかし、古いオリジナル物や「細川ガラシャ」のような曲はまず弾けませんし、クラッシック編曲物・ポピュラー曲ではちょっと無理が生じることがあります。 管パートがないのは仕方がないとしても、パーカッションです。パートを作らなくとも、特定の曲・部だけでも人数を割くことは出来なかったのでしょうか。パーカッションや管が入ることによって完成度が飛躍的に高まる曲も多いのですから、ぜひ考えてもらいたいものです。 再度、舞台衣装について クラッシックの演奏会を見るまでもなく舞台衣装は黒が基本ですが、筆者は、場合によってはもっと明るさ・華やかさを出してもいいのではないかと考えています。 例えば、今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートです。覚えておられる方も多いと思いますが、男性奏者はお揃いのグレーのスーツ(モーニング?)姿でした。それが明るさを感じさせ、舞台上に飾られた花々と共にニューイヤーの華やかさを醸し出していました。 無論必要以上に凝ることはないのですが、失礼にならない範囲で色をつけるのはむしろ大切なことかと思います。それも立派な演出になるのですから。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
第270回 部内演奏会 平成27年12月26日 今年最後の練習となった20日、アンサンブル青葉では通常の合奏練習は早めに切り上げ、部内演奏会を開催しました。普段は合奏しているメンバーが独奏や二重奏・三重奏といった小アンサンブルを組んでの演奏会です。 普段はマンドリンの方がギターを弾いたり、マンドリン合奏では主に伴奏パートであるギターが独奏したりと、メンバーの普段は見られない演奏にお互い感心しきりの時間でした。 演奏曲目 ラ・クンパルシータ、岸辺に立ちて(ボッタキアリ)、ソナタ第3番(アルベルト)、魔笛の主題による変奏曲(ソル)、 「ひまわり」主題歌(マンチーニ)、ソナチネニ長調、マンドリン・セレナーデ(チャップリン)、 海の見える街(久石 譲)、大きな古時計変奏曲、Violin Duet(モーツアルト)、「アンクラージュマン」よりカンタービレ(ソル)、 津軽のふるさと(米山 正夫)、望春風(鄭雨賢)、花若離枝(陳小霞)、ギター協奏曲イ長調第3楽章(グリアーニ) いくつかご紹介しましょう Violin
Duet これは「モーツアルトの冗談である。五線による楽譜は、上下をさかさまにしても読めるのを利用し、二人のヴァイオリン奏者が、一枚の楽譜を両側からのぞきこんで同時に弾けるようにつくられている(「音楽の基礎」芥川也寸志)」ヴァイオリン二重奏曲です。 譜面は、ご覧のように確かに両側にト音記号が記入してあり、二人の奏者は写真のように向かい合って両側から一枚の譜面をのぞきこみ演奏します。 望春風(鄭雨賢)、花若離枝(陳小霞) 聞きなれない曲名ですが、台湾で非常に人気のある曲です。 アンサンブル青葉のメンバーの出身校の一つ、九州大学マンドリンクラブとそのOB団体であるマンドリンコレギウム・九州は毎年台湾へ演奏旅行し、現地の音楽団体との交流を重ねています。参加メンバーは今年も台湾各地で演奏をし、前日に帰国したばかり。 その台湾で、日本の曲のほかこの2曲を演奏し大きな拍手を受ました。 「望春風」は胡弓を思わせるゆったりした旋律が、「花若離枝」はしっとりとした曲想が特徴です。機会があればぜひお聞きください。 部内演奏会を終了した後は忘年会へと移り、楽しいひと時を過ごしました。 アンサンブル青葉の今年の活動は無事終了しました。皆さん、良いお年をお迎えください。 |
|||||||||||||||||
|
ご感想をお寄せ下さい メールフォームはこちら