アンサンブル青葉

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Members Voice Backnumber 15…2017(平成29)年7月〜12月

もくじ

7

訪問演奏しました

或る奏法、再び

スコアのお話

書中お見舞い申し上げます

なり

10

ガクタイどもめ!

電子楽譜

指揮の所作

ビックについて

8

マレットのお話

校歌斉唱

古寺巡礼、礼賛

オペラと…

11

「青葉区民音楽祭」演奏曲目

Gestopft

青葉区民音楽祭に出演

メトロノーム

9月

音楽の効用

音の出る楽譜

かやのき土曜コンサートに出演

臨時記号

弾き語り

12

オフ・シーズン

年賀

クリスマス・カロル

小指の思い出

年の瀬

 

 

第348回 訪問演奏しました                           平成29年7月1日

 

去る6月25日昼過ぎ、アンサンブル青葉のメンバーは青葉台駅に集合。迎えの車に乗り込みました。青葉台の福祉施設「未来俱楽部」の6月の誕生会にゲストとしてお招きを受けての演奏のためです。

「未来俱楽部」は青葉台駅から10分ほど、公園近くにある福祉施設です。6月に誕生日を迎えられた方は3人。まず入居の方、職員さん、そして青葉メンバーで「ハッピバースデー」を合唱し、いよいよ青葉演奏が始まりました。

 

会場の案内。

青葉が紹介されています

演奏中のマンドリン側

お誕生月の方が熱心に聴いてくださっています

演奏の低音側

礼をする指揮者と拍手をする入居者の皆さん

演奏後、施設の前で記念写真

 

演奏曲

アラウンド・ザ・ワールド(「80日間世界一周」テーマ)、バラのタンゴ、真珠とりのタンゴ、シャンソンメドレー、イタリアン・カンツォーネ・メドレー

誰か故郷を思わざる、海沼童謡集、夏は来ぬ、たなばたさま、見上げてごらん夜の星を、さくら

 

前半はマンドリン音楽で世界旅行を、後半は歌で楽しんでいただこうという選曲です。前半は「世界旅行」では皆さん熱心に聴いていただきました。

しかし後半なると、皆さんの表情がより生き生きとしてきました。特に「誰か故郷を思わざる」はじつは難曲で、というのも繰り返しがややこしくて、青葉での練習時は繰り返しのところだけ何度も繰り返し練習していたのです。しかし、皆さんは実に自然に歌っておられるものですから、演奏の方もそれに引かれるように演奏出来たのでした。

この「誰か故郷を思わざる」はアンコールもいただいて再度合唱。和気あいあいのうちに無事に終演することができました。

 

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第349回 或る奏法、再び                               平成29年7月8日

 

去る2日、イケガクでのインストア・コンサートを聞いてきました。

奏者は在イタリアのマンドリニスト、西山みき氏。マンドリンの桝川千明・竹間久枝両氏、ギターの瀬戸輝一氏との共演です。

インストアということで、奏者と聴衆がほんとうに目の前、手を伸ばせば届くという状態です。奏者の方の息遣いを感じ、音を聞いた1時間でした。

 

まずマンドリンデュオで「6つの二重奏曲より第4番(G.Merchi)」、「フィガロの結婚(W.A.Mozart)」。「フィガロの結婚」は軽やかな演奏で、ピッキングとトレモロの組み合わせるというマンドリンという楽器の、その魅力を存分に発揮していました。

 

次いで瀬人氏のギター伴奏により、「無言歌(R.Calace)」、「マンドリンとギターの為のグランドソナタ(F.Margola)」、そして在イタリアの邦人ギターリスト、長岡克己氏作曲の「月歌」が演奏されました。

「マンドリンとギターの為のグランドソナタ(F.Margola)」は、西山氏自身が「変わった曲で…」と紹介した曲なのですが、聞いているうちにその変わった曲が癖になりそうでした。

「月歌」は、「長岡氏が出版社と出版の契約を交わし譜面も渡してあるのに、4年たってもまだ出版されてない」とのエピソードがある曲です。月光の下での演奏を彷彿とさせるものでした。早くの出版が望まれます。

 

最後に出演者全員による「プレクトラム四重奏曲(F.Walter)」が演奏されると大きな拍手が。アンコールは西山氏と瀬人氏による「花は咲く」でした。

 

さて、筆者は西山みき氏を昨年のIMGで初めて拝見し、その際氏の独特の奏法にすっかり感心してしまいました。このコンサートはその奏法を間近に拝見する機会でもありました。

西山氏の奏法は、手首を大きく動かすことに特徴があります。その奏法は、昨年のIMGで他のマンドリン系の奏者の誰とも異なっていましたし、今回、共演したお2人とも異なっていました。

 

その演奏姿勢を筆者の見た通り書くと、

 

・椅子に背筋を伸ばして座り、足を組む(足台は使わない)。

・楽器はネックをほぼ水平に持つ。

・フレット面は、床に対して垂直よりやや下向き。

・腕は、G線の延長線上にほぼ一直線。手首の下、二の腕の上くらいで袖板を押さえる(袖板に腕を当てているだけかもしれません)。

このため、ダウンアップはほぼ手首の上下動のみになり、また高音弦を弾くときは抑えた位置を支点として腕が回転しています。また、弾く位置はサウンドホールの中央部です。もちろん曲想に応じてSul Tasto、Sul Ponteを使い分けていました。

・ダウンアップとトレモロでこの上下動の速度は変わっていないように見えます。

・ピックはつまむように持っています。

・手首全体で打っているので、弦をしっかりはじいている。指先でこねるような感じはしない。

・但し、必要な音に対しては腕全体で柔らかく打っている。

 

この奏法が西山氏独特のものなのか、あるいはイタリアあたりでは標準的なものなのか。またピックは何をお使いなのでしょうか。

今回、残念ながらお話は聞けなかったのですが、自己の研究に大いに参考にしたいと思っています。

 

西山氏、そして共演の桝川・竹間・瀬戸各氏の活躍を祈念します。

 

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第350回 スコアのお話                           平成29年7月15日

 

私たちは普段、自分の弾くパートの譜面だけを見ています。しかし、指揮者はそうはいきません。全てのパートの譜面がなくては指揮ができません。

そうした全パート譜の集合体をスコア(score…総譜)といいます。筆者は折に触れスコアを作っています。

 

スコアを作る機会は、案外多いものです。

まず、楽譜がどのような形で出版等されているのか?によります。スコアと、すべてのパート譜がセットで発売されていれば作る必要はありませんが、パート譜のみで発売されていることもあります。その場合は、パート譜から新たにスコアを起こすことになります。

また、古い手書きのスコアを清書するとき、古いスコアから新しくパート譜を作るときなどがあります。音符を楽譜ソフトへ入力し、そこからパート譜へ展開するのが一般的でしょう。その時自然と新しいスコアが作成されます。

 

さて、スコアを作るとき、各パートをどのように配列するか?という問題(?)があります。各パートの並び方によってスコアは見づらくもなり、見やすくもなります。原則は高音部→低音部と並べますが、いくつかパターンがあるようです。

筆者が見かけた配列は次のようなものです。

 

@                 1st2ndDGCB

A                 1st2ndDCGB

B                 1st2ndDCBG

C                 G1st2ndDCB

 

筆者の一番馴染みがあるのは、@のパターンです。多分一番オーソドックスな並べ方です。ト音記号・ヘ音記号のグループに分け、それぞれ音域の高いパートから記譜していますので、見た目もすっきりしています。

短所(筆者の見解です)としては、ギターは音域が広く、スコアの中で記譜する物理的なスペースが必要です。そのため、ギターのところでスコアが3つに分かれてしまうような印象があります。

 

Aの例もよく見かけます。マンドリン専門誌の付属スコアがこの配列です。

@に比べると、次の点が有利かもしれません。まず、ドラとセロがメロディを弾く場合、ドラとセロはオクターブユニゾン、またはディバイスの上下にあたる旋律を弾くことが多い。また、ギターとベースはベース音を共有したうえで伴奏にあたることが多い。いずれの場合もその関係が明確です。

 

B・Cの例も見かけることがあります。

なぜギターをマンドリンより高い位置に置くのか、ベースより低い位置に置くのか?

考えられるのは、1つにはギターという楽器の特性(音域が広く、重音が出しやすく、かつリズム楽器として優れている)に考慮したのでしょう。また、先ほども触れたように、音域が広いということは記譜上広いスペースが必要になりますので、スコアの最上部・最下部に置いた方が記譜しやすいのかもしれません。

そしてその楽器、ギターをどう使うのか?はその作曲者・編曲者そして指揮者の考え方・個性が反映されるところ。その考え方がパートの配列に表されているのかもしれません。

 

私たち一般奏者は、あまりスコアを見る機会がありませんが、機会があったら「なぜこの編曲を?」と思うと同時に「なぜこのパート配列なの?」を考えてみるのも、また作品・作者の理解を深める方法なのかもしれません。

 

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第351回 書中お見舞い申し上げます                        平成29年7月22日

 

関東地方以西で梅雨明け。

九州で大規模な水害がありました。不幸にして落命された方々に心よりお悔やみを、そして被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

そして関東地方ではこの梅雨時、あまりにも降らなかったようです。梅雨といえばもう少ししっとりとした風情があったように思います。これも温暖化の影響なのでしょうか。

 

さて、梅雨明けともなれば暑中見舞いの出番です。

最近はe-mailSNSLineなどで交わすのが当たり前になってしまいましたが、筆者は相変わらずハガキを使用しています。あて名書きは悪筆を顧みず手書きしています。

 

これまでお世話になった方々へ、半年ぶりのご挨拶。

皆さん、元気でお過ごしでしょうか。暑中お見舞い申し上げます。

 

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第352回 なりきる                                平成29年7月29日

 

車の中、ラジオを聞いています。流れる声は伊集院光さんと小林亜星さん。

 

小林亜星さんといえば「寺内貫太郎一家」での頑固おやじのイメージが強いのですが、本業は作曲家です。その作品は、アニメ「秘密のあっこちゃん」「科学忍者隊ガッチャマン」「まんが日本昔話」、バラエティ「ピンポンパン体操」、CMソングの「どこまでもいこう」「あなたとコンビニ…」、レコード大賞受賞曲「北の宿から」etcetc

 

「ひぇ〜そんなにたくさんのジャンル!」とは伊集院さん。

「どうやったら作曲できるのですか?」「例えばガッチャマンなんて、僕らはそれを見ているからわかりますけど、放映前の企画段階ではどんなものかわからないんでしょ?」

 

小林さんが何と答えるか?聞いていると、

「あのね、どんなものにも主役となるものがあるの。その主役になりきるんだ」と、さらり。

 

う〜ん、単純だけどまさにその通り。

 

ちょっと待て、これは小林亜星という作曲家の核心じゃないのか、結構大切なことかもしれないぞ。

なるほど、「ピンポンパン体操」での主役は幼児だし、「北の宿から」では恋に破れた女性だし。まだ見たこともない「科学忍者隊」も、想像に想像を重ねていったのだろうな。

 

作曲の前にそんなことを考えるなんて、これはまさに右脳の作業だな、と聞いていました。(続く)

 

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第353回 マレットのお話                                平成29年8月5日

 

学生時代の先輩からマレットについて聞く機会がありました。中学高校から打楽器を始め、学生・社会人を通し現在に至るまで様々な楽団で活躍しているプロ級の方です。

 

マレットとは打楽器の枹(ばち)のことです(スネアドラムのものは、スティックといいます)。

例えば、ティンパニはご存知でしょう。オーケストラの最上段に陣取る大型の半球体の太鼓です。打楽器の中では唯一音程があり、オーケストラ曲では重用されます(ちなみに、マンドリン曲ではかつての大オーケストラ、鈴木静一の曲等ではよく見られました。最近のオリジナル曲ではあまり見られないように思います)

そのオーケストラで、ティンパニ奏者が様々なマレットをずらりと並べ、曲によって持ち替えているのをご覧になったことはありませんか?

あれはマレットを変えることで音質を変えているのだそうです。

 

マレットは大きく3つの部分に分かれます。

柄(奏者が持つところ)・芯・芯の外側です。

 

柄は、木製または竹製です。竹製があるとは意外でしたが、諸外国でも普通に使われているとか。竹は節がありますが、その節のあたりを持つように作られているそうです。同じ長さ・太さの柄なら、竹は軽く、木は重い。

 

ティンパニを実際に叩くテルテル坊主のようなもの、これは芯材にコルクまたは木材を使い、その周りをフェルトで覆ったものです。

このフェルトの厚さが様々に変わります。芯材は同じ大きさですが、フェルトを多くすればテルテル坊主は大きく柔らかくなり、フェルトを少なくすれば小さく硬いものになります。

 

柄の材質・フェルトの厚さの組み合わせ、これを変えることで様々な種類のマレットができます。そして曲によって、欲しい音によって使い分けるのです。例えば、柔らかい音が欲しい時は軽く柔らかいマレットを使うし、強いはっきりした音が欲しい時は、重く硬いマレットを使います。

 

また、先輩も還暦を過ぎているので、若い時ほど打突に勢いがない時があります。このような時、やや重めのマレットを使うことでカバーしたりするのだそうです。

このように奏者の意思を反映させる道具(=マレット)ですから、「マイ・ティンパニはないけど、マレットはすべて『マイ・マレット』だよ」と、笑っておられました。

 

普段のマンドリン合奏ではあまり馴染みがない(かもしれない)ティンパニ奏者のお話、いかがでしょうか。

お楽しみいただき、ご参考になれば幸いです。

 

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第354回 校歌斉唱                              平成29年8月13日

 

夏の甲子園大会真っ盛り。連日球児の熱闘が報じられます。今年、深紅の大優勝旗を手にするのは、どこのチームでしょう。

さて甲子園、いや高校野球の応援といえば、校歌斉唱とそれに続くエールの交換が恒例です。

 

今年の大会では、ある学校の校歌が長く、おそらく大会史上最長と報じられていました。同校の校歌は一番しかありませんが、歌詞は20行・206文字あって、しかも繰り返しが4か所あり、演奏すると3分近くかかるのです。

地方大会の時からその長さが話題となっており、「夏の甲子園で全部流せるのか?」と心配されましたが、大会本部の英断によりフルで演奏されたそうです。

応援の皆さんは、母校の誇りを胸に思い切り歌ったことでしょう。

 

ちょっと筆者の思い出話をすると、筆者の高校は地方大会での勝利がありませんでした。

しかし筆者が2年生の時、始めて地方大会の初戦を突破したのです。試合後の校歌斉唱で、勝利を称えての校歌を、筆者は初めて歌いました。あんなにも声を限りにはつらつと歌ったことはなく、ン十年経った今でもはっきりと覚えています。

 

校歌には、その学校の理想・伝統・思いが詰まっています。それらはプライドと言ってもいいでしょう。

甲子園大会はこれからが佳境に入ります。

選手の皆さん、応援する皆さんの胸に、いつまでも皆さんの学校の校歌が鳴り響きますように!

 

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第355回 古寺巡礼、礼賛                          平成29年8月19日

 

本屋をぶらついていると、思いがけないタイトルに出会いました。

「初版 古寺巡礼」

 

「古寺巡礼」は、哲学者・和辻哲郎博士がまだ28歳の折り訪れた、古都・奈良の訪問記。飛鳥奈良の仏教美術を紹介し、古寺巡りの先駆となった本です。偶然この本を読んだ筆者は、奈良生まれであることも手伝ってかの地へ旅したものです。

 

現在一般に入手できるのは戦後復刊した「改訂版」です。これは1919(大正8)年に刊行された初版に、戦後和辻博士自身が手を加えたものです。博士自身が記した「改訂序」によれば、初版には「今の著者(和辻博士)がもはや持っていないもの、すなわち若さや情熱がある」とあると書かれています。

その「若さ」と「情熱」とはどんなものだろう、初版をよんでみたいと思っていたのですぐさま購入しました。

 

「初版 古寺巡礼」を一読して、「若さ」と「情熱」はすばらしいものだと感じました。

自分の好きなものに熱中し、とことん調べて、考え、あるいは友人と議論する…。それが「若さ」と「情熱」なんだと。

そして、初版にはその「若さ」と「情熱」がはちきれんばかりに溢れています。

 

例えば、「伎楽面」についての考察があります。「伎楽」とは仏教伝来とともに中国から伝えられた楽劇で、今の雅楽の原型ともなったもの。東大寺大仏開眼供養でも奉納されたと記録に残っています。

 

その「伎楽」とそれに使用する「伎楽面」の記述が凄い。文庫本で26ページ、およそ15,800字にも及びます。これだけの記述は、すべて若き和辻博士の想像力によってもたらされたものです。

伎楽についての正確な伝承…つまり今日のような映像や録音、楽譜の類ですが…はありません。記録は「続日本記」や「東大寺要録」などに簡単な記述があるだけなのです。

文字だけの「記録」から具体的な場所・舞台の設え、演者の衣装からその演目までを具体的に描き出すその「情熱」。

 

和辻博士は「改訂序」の中で、「初版の取り柄は『若い情熱』であり、それは『幼稚』と不可分である。その幼稚さゆえに『自由な想像力の飛翔』に恵まれた」、という意のことを書いておられます。まさに「自由な想像力の飛翔」があったがゆえに、400字詰め原稿用紙40枚分もの記述が出来たのでしょう。

 

自分が若き和辻博士と同じ年の頃、これだけの情熱を込めて事にあたったことがあるだろうか、との反省とともに、せめてこれからでも遅くはない、情熱を込めていきたいと感じた一冊でした。

 

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第356回 オペラと…                              平成29年8月26日

 

知人からCDを貰いました。「カルメン」の第1・第2の組曲ですが、いわゆるオーケストラ版ではありません。オペラの「カルメン全曲」から第1・第2組曲に相当する曲を抜き出して構成した、いわば「オペラ版」です。

聞いて見ますと、オペラなので楽器で演奏されるところが歌になっています。いや、カルメンはもともとオペラですから、この方が本家なのかもしれません。聞いているうち、いろいろなことがわかってきます。

 

音楽用語で「espressivo」があります。「感情を持って」「感情の強さを持って」演奏する、ということですが、そこにどういう感情を込めるか、は問題ではあります。

ミュージカル俳優で歌手の新妻聖子さんは、「怒りの旋律は激高して、喜びの旋律は笑顔で歌えばラクに発声できる」ということを、ミュージカルを演じながら見つけ、実践しています。

すると、私たちも演奏のときそのように感情を出して演奏するといいのでしょうか?…何とも結論付けられませんが、「カルメン」のような原作・原曲がある曲にとって、原曲を聞き、情景を思い浮かべ、感情を連想する…その方が作品を理解し、演奏の手助けになることは事実だと思います。

 

「オペラ版」カルメンは、単にオーケストラではわからなかった構成を教えてくれました。

なるほど、これは純粋な器楽、ここは歌。歌でもここはソリスト、ここは群衆の合唱。

そういったものを聞き分け、演奏に移す…。ちょっと楽しみな作業です。

 

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第357回 音楽の効用                                 平成29年9月2日

 

音楽は重要なアイテムとして、様々な物語や舞台、映画、そして現実の中で活躍しています。

 

落ち行く平家の陣中から夜毎に笛の音が流れ、いつしか敵味方ともその音に聞き入るようになった。さて、源氏の武将・熊谷直実は平家の若武者に一騎討ちを挑み、これを組み伏せ、首級をあげる。名乗らぬ若武者であったが、その懐に一本の笛が仕舞われていた。全てを悟った直実は、息子と変わらぬ年頃の若武者の菩提を弔うべく出家する。

 

氷山と衝突し、沈みゆくタイタニック号。混乱を極める船上で、乗り組んだハートリー率いるバンド・メンバーは音楽を奏で続け、乗客の不安を和らげようとした。最後に演奏された曲は、「主よ、御許に近づかん」であったと言われています。

 

日本への帰還を肯せず、ビルマの地に残り、戦没した兵士たちを慰霊し続けることを決意した水島上等兵。戦友たちとの惜別の曲は、竪琴による「仰げば尊し」だった。

 

このような場面ばかりとは限りません。

先日、混雑のため出発が遅れていた飛行機がありました。乗り合わせていたのが歌手の松山千春さん。松山さんは、乗客のイライラがピークに達しつつあるのを感じ、CAに申し出て一曲披露したそうです。機内は歓声に満ち、雰囲気は一気に和んでいきました。

 

この松山さんの行為に、批判的な声があるのも事実です。しかし、同じように音楽を少しはたしなむ身としては、一個の音楽が場を和ませ、雰囲気を変える、その力を感じ、喜びたいと思います。

 

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第358回 音の出る楽譜                             平成29年9月9日

 

以前、この欄でソフトを使っての楽譜づくりに苦労する、という話を書きました。ソフトを使えば楽譜をキレイに作ってくれますが、できた譜面が奏者にとって使いやすいか?は別問題だからです。

 

では、どんな譜面がいいのか考えているとき、ちょっと面白い本を見つけました。岩波新書「楽譜の風景」。著者はNHK交響楽団・指揮者でアンサンブル金沢音楽監督の岩城宏之さん(故人)です。

 

その中に写譜の話が出てきます。岩城さんの修業時代、いやそれ以前から、オーケストラの譜面は写譜が普通でした。今のような楽譜ソフトはおろかコピー機さえない時代のことです。音楽関係では、譜面を写譜する「写譜屋さん」が数多おられました。

作曲家も当然手書きでスコアを書くわけですが、これをパート譜に落とさねばなりません。また、作曲家によっては筆跡が乱暴で、写譜屋さんが浄書しなければとても演奏には使えない…ということも多くあったようです。

 

そして写譜は人の手で行うわけですから、できた譜面は写譜した人の個性・癖を反映して見やすい・扱いやすい譜面とそうでない譜面に分かれる、という、今と同じような状況があったのでした。

 

岩城さんが考える「良い写譜」とは、きれいで正確なこと(手書きで、です。念のため)。きれいで正確な写譜は読みやすく、奏者が余計なことに気を回すことなく音を出すことに専念できるので、結果美しい音がするのです。

 

そんな岩城さんが絶賛するのが黛敏郎さんの自筆譜です。黛さんの記譜は、「写譜屋さんのもののように美しくはないが素朴で、かつ正確無比である。何より大切なことは、黛さんが書くオタマジャクシからは音が聞こえる」…といいます。楽譜からその曲が流れてくるような譜面が書ければ、それは写譜する側としては理想でしょう。手書きであれば、音を感じさせる迫力を音符に込めることが出来そうです。

 

さて、現代の写譜をする私たちは、残念ながらすべての楽譜を手書きするわけにはいきませんよね。きれいで正確、これはソフトに任せれば問題なし。すると、見やすい譜面・音を出すことに専念できる譜面、とは?

音を感じさせることのできる譜面を目指して、試行錯誤は続きそうです。

 

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第359回 かやのき土曜コンサートに出演しました                        平成29年9月16日

 

快晴の9月9日、「かやのき土曜コンサート」に出演しました。

このコンサートは横浜市大場地域ケアプラザが奇数月の土曜に開催するもので、地域の様々なアマチュア音楽団体が演奏します。アンサンブル青葉のこれまでの演奏は「好評」だそうで、今回4回目の出演となりました。

 

地域の方や、ケアプラザご利用の方たちでほぼ満員となった客席を前に、「フェスタ・イタリアーナ(イタリアン カンツォーネ メドレー)」の演奏から始まりました。

 

 

 

演奏曲

フェスタ・イタリアーナ、ネコ踏んじゃった(ウインナ・ワルツ風)、小象の行進、シャンソン・メドレー、エストレリータ、雨とコスモス、古戦場の秋

 

特に「古戦場の秋」では、季節にぴったりなうえ、今流行りのTVドラマや映画を連想したのか盛んな拍手をいただきました。

 

最後に「見上げてごらん夜の星を」をお客様と合唱し、閉会となりました。

 

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第360回 臨時記号                               平成29年9月23日

 

筆者が使っている楽譜ソフトは、臨時記号を1音符単位でないと受け付けません。このため、同じ音が続くときは、いちいち臨時記号の設定・解除をしなければなりません。

「あ〜普通の記譜ルールでは、臨時記号はその小節間は有効なのに…」とぼやくことしきりです。

 

ふと、現代曲の作曲家の方は「臨時記号はその音限り」という譜面を書く方が多い、と耳にしました。例えば、わが国を代表する現代音楽作曲家・武満徹さんのピアノ曲「雨の樹 素描」には、こんな注釈があるそうです。

 

The and signs apply to one note only

 

ほう、すると我がソフトは現代記譜ルールを先取りしているぞ!

しかし、臨時記号は「その小節間は有効」というのは昔からのルールです。「付けられたその音に限り有効」とした方が音楽表現上有利なのでしょうか?そのようなルールが、果たして定着するのでしょうか。

 

 

現行の記譜(上)と「臨時記号はその音限り」の記譜(下)

 

 

しばし空想してみます。

皆さんがこの記事を読んでいるこの瞬間から、全世界で一斉に「臨時記号はその音限り」という新ルールが適用されるとします。違反者はプロアマ問わず高額な罰金を支払わなくてはなりませんので、しぶしぶ従うことにします。すると、何が起こるでしょうか?

まず、私たち演奏者は大混乱です。演奏の時、とっさには指が動かないでしょう。また、その譜面が新旧どちらのルールで書かれたものか判別し、弾き分けなければなりません。既存の譜面はバッハだろうがモーツァルトだろうが、タケミツだろうが、はたまた安室奈美恵やEXILEも全ての楽譜を書き直さなければなりません…あちゃあ。

 

「それはルール移行期の僅かな間だけさ、そのうちみんな慣れるよ…」という考えもあります。では、今から数100年後の未来にタイムスリップしてみましょう。そこは「全ての臨時記号はその音限り」というルールが定着した世界です。

一大発見がありました。ベートーベンの第9交響曲オリジナル版の発見です。先の戦争のどさくさで行方不明になっていたベートーベンの手書き譜、これが見つかったのです。さっそくその譜面を基に演奏会が行われました。

数100年後の未来では、譜面をスキャナーで読み込ませれば自動的に演奏してくれるのです。多くの聴衆が見守る中、第9交響曲の演奏が始まりました…。が、評判はあまり芳しくなさそうです。

言うまでもなく、ベートーベンの手書き譜は昔のルールのままです。譜面を読む人(この場合はスキャナーですが)が昔のルールを知らなければ間違った音が流れ、それが正しいと誤解されることになります。

 

空想はさておき、そもそも「臨時記号はその小節間は有効」というルールは、調性音楽の発達期に、記譜の煩雑さを省くために考案されたものです。その後、現代音楽、ことに12音音楽においては逆に全ての音に♯・♭・♮をつける作曲家が多くなったそうです。

やはり、これは伝統の重みという以上に、作曲家は自分の望む音をちゃんと示すために、演奏者が作曲家の望む音を間違いなく把握するために、臨時記号は楽典通りつけてもらいたいものです。

楽譜ソフトの製作者には、もう少し頑張ってもらいましょう。

 

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第361回 弾き語り                                     平成29年9月30日

 

「来年はどんな曲を弾いたらいい?」

不意に友人から、来年の定演候補曲の相談を受けて、ちょっとドギマギ…

こっちは来年どころか、これから今年の演奏会への追い込みだというのに。

 

「そうだねえ、…」

日頃不勉強な筆者はオリジナルの新曲にはとんと疎いし、かといってイタリアオリジナルものやカンツォーネも新鮮味には欠けるし…。

「ま、やりたい曲をやればいいんじゃないの?」

 

…と答えにならない答えを返したところで、突然ソロ曲をやりたくなったのはなぜでしょう。それもオリジナル曲ではなく、普通の歌を、いわゆる弾き語りのようなソロで弾きたくなったのは?

 

普段弾いている楽器ですが、いつもは合奏のパート譜ばかり弾いています。

他人様がそれだけ聞いたら、何の曲かわからない。それに、マンドリンオリジナル曲は残念ながら一般的に著名度が低く、ますます何の曲だかわからない…なんてことを考えたことはありませんか?

 

もっと気楽に、みんなが知っているあの歌この曲をサラッと弾いてみたら、マンドリンの良さ、楽しさが広がるんじゃないだろうか?

 

さっそく会社帰りに楽譜屋さんに飛び込み、棚を物色することしばし。何曲か、楽譜を入手していたのでした。

普段、合奏用のパート譜ばかり弾いている愛器に、主役を演じてもらいたいなと思っています。

 

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第362回 ガクタイどもめ!                              平成29年10月7日

 

合奏をしている私たちが普段見ているパートの譜面、「パート譜」。これをドイツ語圏では「Stimmen(声)」、英語圏ではMusic Partといいます。

 

これらは音楽関係者の「業界用語」なので、一般のドイツ人や欧米人に「パート譜」の意味で「Stimmen」「Music Part」と言っても通じません。とくに「Music Part」は、単に「Music」と略す人が殆どで、こんな感じです。

 

「おい、君の声(Stimmen)を貸してくれないか?」

「しまった!自分の音楽(Music)を忘れてきた!」

 

こうなると私たちも「?」となる可能性が大です。

なぜ「Music」と言うのかは定かではありませんが、「Part」とするのはよくないようです。というより、絶対にマズイ。

 

「パート譜」には、多くの場合アルファベット「A、B、C…」か数字「123…」で練習記号が入っています。

練習記号は、日本では普通に「3番から」「(シー)から」と直接言うことが多いようです(アルファベットは英語読み)が、欧米では数字の場合、ドイツ語圏では「Nummer 3」、英語圏では「Figure 3」と言うようです。小節番号等との混同を避けるためでしょうか。

 

またアルファベットの場合、英語圏では日本と同じく文字を言うだけですが、ドイツ語圏では「練習記号(ドイツ語でBuchstabe(ツェー)」とは言わず、「Charlie チャーリー」「Cäser シーザー」などと「C」で始まる単語、多くは人名で表します。これは、アルファベット一文字だと似た発音の文字があるので、明確に区別するためです。

 

この呼び方、基本の言い方はあるのですが、岩城宏之さん(故人。NHK交響楽団、アンサンブル金沢等の指揮者。海外のオーケストラも多数指揮した)はあえて流行り言葉や地名などを使い、練習を円滑に進めるのに役立てたそうです。今ご存命なら、OObamaTTrumpとでも言ったかもしれませんね。

 

ところで、練習番号にはある緊張感がつきものです。マンドリン音楽ではお目にかかったことがありませんが、交響曲等長い曲は必然的に練習「記号」ではなく「番号」が付されます。するとどうしてもある特定の番号が付けられるわけで、岩城さんは、こんな意味のことを書いておられます。

 

「その番号付近で練習が止まる。再開するのにその番号を大声で叫ぶのはまことに恥ずかしいのだが、どうしても止まって(止められて)しまう…ああ、愛すべきガクタイ(オーケストラのメンバーのこと)どもめ!」

 

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第363回 電子楽譜                                      平成29年10月14日

 

楽器屋さんから最新の電子楽譜の案内メールが来ました。

楽譜の配布はペーパーが主流です。しかし、毎年配布される楽譜も多く、皆さん管理に工夫されていることと思います。筆者の場合、青葉の演奏曲・お手伝いしている楽団の曲などで毎年20〜30曲になります。これを一冊の本=電子化し、端末を持ち歩けばスマートに管理できるのではないか、と期待して出かけました。

 

この10月に発売されたばかりの電子楽譜。大きさは、開いてA4二面分=A3の見開き、閉じてA4ファイルサイズという、普段見慣れたサイズです。厚さ6ミリ弱、重量650gの軽量さ。充電式で、3時間の充電で3日間動作。収録可能曲はノーマルで約4000曲、というスペックです。

 

特徴はその画面。電子ペーパーという、一見普通の紙です。タブレット端末のようなバックライトではないので、目が疲れません。

肝心の楽譜は、そのメーカーサイトからダウンロードするほか、市販譜・自作譜もPDF化すれば使えます。アップロードした譜面への書き込みは、専用電子ペンで行います。

そして、譜めくりは画面外枠にあるセンサーに触れるか、別売りのペダルでコントロールします。市販譜の中には譜めくりを全く考慮していないものもあり、書き直すか切り張りして譜めくりしやすいようしていた、なんて苦労からは解放されそうです。

 

…と、ここまではいいことづくめですが、これが普及するかどうかはちょっと疑問です。

例えば譜面のPDF化。大オーケストラのように専任のライブラリアンがいればいいのでしょうが、アマチュアの楽団で出来るものでしょうか?例えば青葉の楽譜のデータベース、そこへの収録曲は100曲近くあります。まして大きな楽団・伝統ある楽団なら収蔵曲はその数倍から数十倍はあるでしょう。それらをすべてPDF化するのと、その楽譜をコピーして配布するのと、どちらがいいでしょうか?

そして、実は最大のネックと思うのがその価格です。何と18万円!税込みで20万円弱…この価格なら、新品の手工芸マンドリンが買えます。筆者なら、間違いなくマンドリンを買います。

 

紙による譜面が配布され、その譜面を弾き、指揮者やコンマスからの注意点・自分なりの工夫などを書き込んでいく。やがてその譜面にはある「風景」が生まれます。そうした風景にとって代わるには、高すぎます。

電子楽譜が今の紙にとって代わるには、もう少し、いやグーンと値段をさげなぁあかんよ。

 

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第364回 指揮の所作                                   平成29年10月21日

 

学生時代、鈴木静一の「雪の造形」第1楽章を3拍子で振った人がいました。その人は、/8拍子を算数の分数と混同し約分してしまい、3拍でとるものと勘違いしていたのですね。さすがにそれはおかしい、6/8拍子は2拍子の一種なんだよ、2つ振りなんだよと注意を受けていましたが。

この第1楽章は、どんよりとした曇り空からついに雪が舞い落ち、深々と降り積もる様を表現しています。

 

ところで、指揮者によってはこの6/8拍子を3+3で振る方があり、筆者はある種の戸惑いを感じています。

いや、最初に謝ってしまいます。ごめんなさい。指揮の経験がない筆者がこんなことを言うのはおこがましい。拍は、指揮者が必要な拍数を振ればいいのですから。

 

ただ、以下のような感想は抑えきれません。

まず、6/8拍子を3+3で振り各拍をガチガチに指定していくのと、2拍子で振り各拍を滑らかに3連符で表すのとでは、曲の印象が微妙に違いませんか?

 

また「雪の造形」のこの場面、筆者は「人気のない原野に静かに雪が降る…」という情景を想像しています。「雪〜ロマンツァとボレロ」の中間部もそうです。こちらでは「吹雪の後、一面に広がる銀世界…」を想像しています。

そういう場面で3+3で振って(その結果)指揮棒が細かく動くのは、表現すべき静けさを損なってはいませんか?

 

更に3+3では、お客様や演奏者に見える拍子は3拍子でしかありません。これで6/8拍子(=2拍子)の曲と感じろというのは、無理がありはしませんか?

 

例えば長谷川武宏さんの「風のカンティレーナ」。この曲の後半にも6/8拍子の箇所があります。音符の動きは細かいのですが、ここを2拍子でとるのと3+3でとるのとでは躍動感・リズム感が違ってきます。さらに言えば、曲の表現には、指揮者の指揮ぶり…所作も重要なファクターなのではないか、とさえ思っています。

 

繰り返しますが、筆者には指揮の経験はなく、以上述べたことは演奏者として、あるいは鑑賞者としての感想にすぎません。ただ、「雪の造形」を3+3で振られるのだけは、どうかご勘弁!

 

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第365回 ビックについて                             平成29年10月28日

 

母校の学生さんと練習をする機会がありました。現役の学生さんは反応がいい。少しの注意でどんどん良くなっていくのですから、将来が楽しみです。

 

ところで、1年生など初心者に教えるのにあたって一番考えさせられたのが、実はピックです。

今の学生さんはセルロイドのものを使います。しかし音にやや勢いがない。その原因はどうもピックにあるように思えました。

 

最近は柔らかいピックが流行りだそうです。学生さんは皆さん柔らかめのピックでした。

その柔らかいピックを使っていると、何となく音が出てしまう。正しいダウンアップになっていなくても弾けてしまう。結果的に「楽器を鳴らす」という基本的なことができていない。とくに弦が太くなる低音系で顕著…ということに気付きました。しかも本人は弾けた気になってしまっている。これは怖いことです。

 

筆者が学生の頃、ピックといえばもちろんべっ甲でした。

ところが、現在では強いてべっ甲を使えとは言えません。なにせ1枚800〜1000円もします。1枚100〜200円のセルロイドのピックを選ぶのもやむを得ません。そのセルロイドのピックは、今や百花繚乱。形状・厚み・硬軟・弾力性も様々でどれを選んだらよいのか、選ぶ基準がありません。

ある程度弾きこなせる人ならば様々なピックを使い分けることができますが、初心者には無理な話。初心者にはまず「これ!」というような基準・標準が欲しいものです。

ここはセルロイドでべっ甲の硬度・弾力性を再現したものがぜひ欲しい。それを基準としてみたい。

 

きちんと弦をはじき楽器を鳴らすことを覚えなければ、楽器は弾いたことになりません。そのためには、まずべっ甲(あるいはその同等品)のピックでダウンアップをしっかり練習することが必要です。柔らかいピックは、それが出来るようになってから必要に応じて使えばよいのです。

 

楽器屋さんを巡ってべっ甲と同等のピックを探してみることにします。また、製作者さん(各メーカーさん・手工業者さん)や販売店さんも、楽器本体だけでなく、ピックに対する啓蒙と良質のピックの生産・確保をお願いしたいものです。

 

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第366回 「青葉区民音楽祭」演奏曲目のご紹介                     平成29年11月4日

 

来週に迫りました「青葉区民音楽祭」。今年のアンサンブル青葉はステージで演奏します。演奏予定曲目をご紹介します。

 

1.                  春のきざし(Frühings Erwachen

作曲者はフィリップ エマニュエル バッハ(セバスチャン バッハの息子)です。北ドイツの遅い春の訪れを表現した曲で、原曲はピアノ曲もしくはバイオリン独奏曲と思われます。

 

2.                  古代舞曲とアリア

一般的には「シチリアーナ」として知られています。もとはギターやリュートの独奏曲「エスパニョレッタ」として親しまれてきました。レスピーギ(「リュートの為の古風な舞曲とアリア」の編曲者)に誤った題名が伝えられたためこの名が付き、それが定着したものです。

哀愁を帯びたメロディが印象的で、単独での演奏のほかCMなどでも使われており、皆様もきっと耳にしたことがあるでしょう。

 

3.                  花祭り

アンデスの民謡です。原題はスペイン語で「ウマウアケーニョ」、ウマウアカという街の人、という意味です。「ウマウアカの谷にカーニバルが来るよ、チョリータ(着飾ったインディオの女性のこと)さん」という内容の歌詞がチャランゴやケーナ、ボンボといった民族楽器による軽快なリズムに乗って歌われます。本日はマンドリン編曲でどうぞ。

 

4.                  漁村の一夜

作曲者中野二郎は我が国におけるマンドリン作曲・編曲家。とくにイタリアから多くの楽曲を取り入れマンドリン編曲して広めました。その一方で、この「漁村の一夜」のように日本的な風景を多く描き出しています。

本曲は4曲からなる組曲ですが、そのうち第1曲「月と蟲と波と」・第4曲「踊りの稽古」をお届けします。

 

「月と蟲と波と」は、月の光の中で打ち返す波・鳴く虫の音…秋の夜を描き出しています。

「踊りの稽古」は村祭りを目指しての、踊りの稽古を描いています。しかし踊っているうち熱が入りすぎ、合わなくなってしまいました。そこで仕切り直し、改めて踊り始めます…という情景を、ユーモラスに描いています。

 

5.                  幻想曲「ペチカ」

作曲者石渡 勝氏はマンドリン作曲家・指導者。ポピュラー曲を基に数々のマンドリンオリジナル曲を作曲しています。この曲も山田耕筰の「ペチカ」が原曲です。

「雪の降る夜は、楽しいペチカ…」の歌いだしから、自由な発想でのフーガに発展していきます。果たしてどんな夢を見せてくれるのでしょうか。

 

青葉区民音楽祭は11月12日(日)、横浜市青葉区公会堂で開催されます。

アンサンブル青葉の出演は、13時30分頃の予定です。皆様のご来場をお待ちしています。

 

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第367回 Gestopft                               平成29年11月12日

 

先日ご紹介した「楽譜の風景」。この本の中では、著者・岩城宏之さんが特殊な音楽記号に悪戦苦闘する(?)様が描かれています。

作曲家の方々は日々新しい奏法を開発し、その奏法を指示するオリジナルの記号を発明(?)しては記譜します。ところが、演奏する方はその記号にお目にかかったことがないので、どのように演奏すればいいのかわからない。さあ、どうする?

 

岩城さんは訴えます。

「常に作曲者が練習に立ち会うことができればいいのだろうが、それは不可能である。まして譜面として出版されてしまえば、それは全く公のものとなってしまい、作曲者の手は届かなくなる。そうすると、そこに無数の「マケとけ(作曲者の趣旨とは違った奏法・解釈・音で演奏してしまい、違っていても不問に付すこと)」が生じ、作曲者の意思とは全く違う曲が流れることになってしまう。それが心配だ…。」

 

これはクラッシック音楽での話なのですが、わがマンドリンの世界でも似たような話がないわけではありません。

トレモロで弾くことを指示するのに、+の記号を使う方がいます。私たちマンドリン界の住人は、その方の作品の+記号はトレモロ、と了解していると思います。

しかし音楽の世界は広い。クラッシック界や吹奏楽の人から見れば、これは「?」な楽譜となります。なぜなら+記号は、普通ホルンのゲシュトップ奏法を指示するものだからです。

(ゲシュトップ奏法…ホルン(フレンチホルン)のベル(=朝顔)の中に手を突っ込んで吹く奏法で、弱音効果があり、かつ音色が暗い金属的な音に変化します。)

 

マンドリン界以外の、つまりオリジナル曲を知らない誰かが+のある曲の譜面を手にし、演奏しようとする。さてスコアを見たところ、「この曲はそんなにも弱音指示があるのか?」と勘違いしてしまい、そのように曲を…私たちからすれば、かなりマケといた曲に…仕上げてしまう、という可能性がないわけではないのです。

 

+記号でなく、ゲシュトップ(gestopft)と文字で書いてある譜面を演奏したことがあります。その時は、ゲシュトップの指示が具体的にどんな奏法・どんな音色の要求なのかとんとわからず、困りました。

書いた方にはきっとその音のイメージがあり、どういう奏法をとってほしいのか、があったと思いますが、残念ながらゲシュトップという指示自体が一般的であるとは言えず、筆者を含め多くの人はどう弾いたらいいのかわかりませんでした。

 

その曲はオケ編の曲でしたので、オケのスコアを見てみると、p、かつpizzで演奏する箇所でした。pizzは、指で弾いてもピッキングで弾いても、マンドリンではあまり変わらないように思えます。そういう判断をしたのではないだろうか。つまり、「pizzで弾かなくてもいい。代わりにうんと音量を落とせ」ということを指示したかったのだろう、と解釈してそのように弾きましたが、その解釈が正しいかどうかはわかりません。ここでも「マケとけ」が発生していたのです。

 

もちろん、トレモロを指定する新しい記号の制定や、弱音で弾く奏法の研究、あるいはバイオリン属のような弱音器の開発や普及といったことは必要です。

しかし、それらが一般に普及する前に独自の書法で書くことは、相当な注意を要すると思います。

 

前掲書でも、岩城さんは次のように指摘しています。

「演奏者という人間を媒体とした曲を書く以上、うまく演奏家という動物を使うべきである。自分の表現したいことを、能率良く、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えてほしい。そして、どんな人に弾かれても大丈夫なように、楽譜の書き方には注意してほしい」、と。

 

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第368回 青葉区民音楽祭に出演しました                       平成29年11月18日

 

快晴の12日、恒例の「青葉区民音楽祭」が横浜市青葉公会堂で開催されました。

今年のアンサンブル青葉はステージでの演奏です。たくさんの方にご来場いただき、以下の曲を演奏しました。

 

 

演奏曲 春のきざし(Frühings Erwachen)、古代舞曲とアリア(シチリアーナ)、花祭り、「漁村の一夜」より「月と蟲と波と」「踊りの稽古」、幻想曲「ペチカ」アダージョとフーガ、アンコール「碧空」

 

 

 

例年はロビーコンサートでしたが、今回は定演代わりのステージでの演奏で少し緊張しました。

それでもお客様の温かい拍手に支えられ、無事に演奏を終えることができました。

 

 

 

 

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第369回 メトロノーム                               平成29年11月25日

 

音楽を嗜む人は、誰しも持っているでしょう。

カチコチとあらゆるテンポを表し、時にはやさしく、時には頑固に演奏者を導く…あれですよ。

 

昔のメトロノームは、分銅がついたバーが左右に揺れる(分銅を上下することでテンポを変える)「振子式」でしたが、今は電子式のものが多いですね。

ダイヤルその他で40から200を超えるテンポまで正確無比、LEDが左右に点滅し、カチコチの音も何種類か内蔵で、チンが鳴る拍数も思いのまま。

しかし指揮に合わせることを前提とした場合は、正確無比な電子式より、昔ながらの分銅式の方がいい…のかも知れませんよ。

 

最近、指揮法の本を読みました。著者は斎藤秀雄氏。小澤征爾氏をはじめ数多の音楽家に多大な影響を与えた、あの斎藤秀雄氏です。

この中で、(メトロノームの)刻む音だけを聞くよりは振子の動きを見た方がリズムとテンポを合わせやすい、との記述があったのです。

指揮法にはいろいろあると思いますが、この本で斎藤氏が提唱する指揮法…指揮棒の動きと、メトロノームの振子の動きが似ていることからこのような記述になったのかと推察します。

 

「この本」における指揮法の概要

 

指揮の目的は、テンポとリズムを指示することである。

いま、指揮をただの円で表現するとする。一定速度で円を描くと、そこにテンポが定められる。しかし、一定速度の動きではリズムは生じない。

円周上にある点を定め、その一点から打ち出されたように早い初速を伴って動き出し、次第に減速して元の点に帰り、そこからまた打ち出されるように動くという運動にすると、その点にリズムが生じる。

その点を明確に予測させるため、加速を始める点と減速に転じる点を仮定する。すると円運動(指揮の動き)は、加速が最大に達し最高速度で通過する(減速に転じる)点と、減速が最大になって最低速度で通過する(加速に転じる)点の二つを巡る運動となる。(そして、その「点」がいわゆる「打点」になる。)

 

 

もちろん、この本の初版が出版されたときには電子式のメトロノームはなかったわけで、この記述を以って直ちに電子式を否定するものではありません。

でも、音楽というものは「人が書いた楽譜を、人が演奏し、人が聞くもの」ですから、その演奏する人にテンポとリズムの指示を与える「指揮者」と、似たような動きをするものが身近にある…ということがちょっと嬉しくなりました。

今度の土日には、さっそく新しいメトロノームを見に行こうかな、と考えています。

 

参考文献…斉藤秀雄著【改訂新版】指揮法教程 音楽之友社

 

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第370回 オフ・シーズン                                 平成29年12月2日

 

さて、演奏会も終り、シーズン・オフとなった方も多いでしょう。

これから来シーズン始まりまで、のんびりと過ごしましょう。

 

演奏関係では、何をしましょうか。

演奏会の楽譜・その他資料の整理、演奏会を聞きに行ったり、録音を楽しんだり。

あるいは教則本に取り組んでみる。初心に戻ってダウン・アップやトレモロ、音階練習をしてみると新たな発見があるかもしれません。

そして音楽関係の勉強。楽典・和声楽・対位法や指揮法、ソルフェージュなどに取り組んでみるのもいいでしょう。

 

筆者は年のせいか(?)、リズム読みがトンと苦手になってきました。その対策ということで、ソルフェージュに挑戦しようと、本を買ってきました。ソルフェージュとは、読譜・聴音・視唱・リズム読みといった音楽の基礎を扱うものです。

具体的にどんなことをするのでしょうか?

 

例えば、読譜。皆さんは異なった音部記号で書かれた譜面をすぐ読めますか?

マンドリン関係では、まずト音記号とヘ音記号しか使われていません。まれにハ音記号(テノール記号)をセロの高音部で見かけますが、ほとんどの場合ヘ音記号に書き直してしまいます。

 

しかし、オーケストラの曲を演奏するとき、原曲のオーケストラ譜はこの他にアルト記号(ビオラの記譜に使われます)が使われます。読譜するとき、私たちはそれらをト音・ヘ音記号に置き換えていますが、そんなことをせずにすらすらと読めたら、どんなに楽だと思いませんか?

また記譜するときも、ト音記号・ヘ音記号しか使わなければやたらに加線が増え、かえって読譜の妨げになったりしています。

 

オーケストラ譜の例。上2段がヴァイオリン、中央がビオラ(アルト記号)、その下がチェロ、最下段はバス。

チェロはメロディを弾いているのでテノール記号で記譜されています。これをヘ音記号に書き直すと…?

 

ハ音記号(アルト記号・テノール記号)を使いこなせれば、このような苦労から解放されます。加えて、オーケストラ譜をそのままマンドリン譜に読み替えて演奏できます。和音を読み取ればギター譜作成にも応用できるのではないでしょうか。

読譜は一例ですが、ソルフェージュはこのようなことを扱っています。

 

オフ・シーズンを迎えた方、この例に止まらず、ぜひ有意義なオフを過ごしてください。

 

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第371回 年賀状                                    平成29年12月9日

 

早いもので、もう12月です。これから年末にかけて仕事がピークに。そしてクリスマス、あっという間に年の瀬となります。

 

そしてこの時期、頭を悩ませるのが年賀状です。

ハガキよりはメールやSNSでやり取りする方が主流となった昨今ですが、筆者は相変わらず年賀状を作っています。1年に一度くらいは、日頃お世話になったり、昔赴任していた土地の知人にご挨拶したりしてもバチは当たらないでしょう。

ついでに、あて名書きは悪筆を顧みず手書きです。これも個人的なこだわりながら、文面を印刷で手抜きしている(?)ので、せめてあて名位手で書かないと失礼かな?という思い込みから続けています。

 

ところで、印刷年賀状(写真年賀状)に一言手書きで書き添えると、味わいが出てきます。

この文句に頭をひねるのも一興かもしれません。もっともあまり頭をひねるとわざとらしくなりますが…

 

「謹賀新年」

 

この印刷に付け加えて

「小生の年賀状は小生の衣服と一般、十年一日のお仕着せにて、…吉例を尊び候」

と書いたのは、確か寺田寅吉(だったと記憶しています)。

 

言霊(ことだま)(さき)はふ国の()寿(じゅ)翁 もゝとせ超えて 千代さかえませ」

と書いたのは新村 出(にいむら いずる)。新村は広辞苑の編集者です。

 

「言霊の幸はふ国」とは、万葉集にある日本の別称。久寿翁、とはこの年賀状の送り先、足利竹千代氏(室町幕府、足利将軍家の子孫で国語表現の研究者)のこと。当時92歳の竹千代氏を久寿翁と寿ぎ、「ももとせ」すなわち百歳を超えて「千代」=「千歳」まで元気でおられますように、との願いが込められた言葉です。

 

相手の顔を久しぶりに思い浮かべながら、こんな気の利いた言葉を紡いでみましょうか。

 

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第372回 クリスマス・カロル                                平成29年12月16日

 

巷にはクリスマスソングが流れ、すっかりクリスマスの気分です。

 

「クリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持ちになって人を赦してやり、情けぶかくなる楽しい時節ですよ。男も女もみんな隔てなく心を打明けあって、自分らより目下の者たちを見てもお互いみんなが同じ墓場への道づれだと思って、行き先の違う赤の他人だとは思わないなんて時は、一年の長い暦をめくって行く間にまったくクリスマスの時だけだと思いますよ。」…C.ディケンズ クリスマス・カロルより

 

クリスマス。人は皆、やさしくなれる季節です。

 

先日、ちょっと嬉しいニュースがありました。

人気ロックグループ「GRAY」は、結婚式のBGMや新郎新婦のなれそめを紹介するプロフィルビデオなどに楽曲を使う際、著作権に関わる使用料の一部を無償とすることを発表しました。対象となるのは使用料のうち歌手・所属事務所・レコード会社に支払われる「著作隣接権」で、一曲当たり約2000円が無償となります(作詞・作曲の「著作権」に対する1曲あたり200〜400円の支払いは残る)

 

昨今、著作権といえばカラオケやダンス教室からの楽曲使用料徴収。今度は音楽教室からも徴収しようと騒ぎが起こっています。この音楽教室からの徴収は、歌手の宇多田ヒカルさんがツイッターで「私の曲を使いたい先生や教室があったら、著作権料など気にしないで無料で使ってほしいな」と発言するなど反発や批評が高まり、一部訴訟まで起こされています。それでも徴収を強行しようというのですから、どうにも世知辛い世の中になったものです。

 

GRAYのボーカル、TERUさんは「結婚式という人生の素晴らしい舞台で(曲を)使ってもらえることは光栄。自分たちの音楽をもっと聴き手に生活の場面に根ざした形で役立ててもらえたらうれしい」と話しています。

今回人気バンドのGRAYがこのような対応をし、著作権料の一部フリーを図ったことは、結婚式という人生の晴れ舞台への粋な贈り物。

そして音楽を趣味とし、音楽を楽しみたい私たちにとっても、大切な贈り物と言えそうです。

 

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第373回 小指の思い出                               平成29年12月23日

 

大掃除のさなか、学生時代に使っていたODELLが出てきました。つい懐かしく眺めてしまいます。

 

マンドリンクラブに入部したての基礎練では、当然マンドリンを使っていました。基本的なダウン・アップができるとハ長調のスケールを習います。ご存知の通り、マンドリンでのハ長調のスケールは、G線5フレットのDoからスタートして7フレットのRe…と続き、解放弦を使わずに弾いていきます。

 

ところが筆者はセロに転向になり、楽器の大きさと運指の差に戸惑いました。

セロは楽器が大きいので1フレット1指が基本であること、そしてハ長調のスケールでは解放弦を常用します。

 

その運指をもう何十年もやっているので、たまにマンドリンを弾くと、特にスケールの練習の際などつい解放弦を使ってしまい、小指が遊んでしまいます。

逆に、マンドリンをやっている人がセロに転向したときなど、つい人差し指・中指・薬指の三本だけ使い、小指が遊んでいる…なんてことはありませんか?

 

左手の小指は働き者、高い音を押さえます。そして太い弦、つまりマンドリン・ドラのD線・G線、セロのG線・C線を押さえるとき皆さん苦労をしているようです。素早く確実に抑える工夫、皆さんはどうしているでしょうか。

 

さて、ODELLをめくっていると、右手小指について、「小指は音響板に触れない方がよい」とありました。

う〜ん、この点では筆者は修業不足です。実はトレモロの練習の際どうにも手首が安定せず、音響板に小指をつけたらうまくいったので、そのまま小指をつけるのを常用してしまっています。

 

ただこれだと強く弦を叩くとき、手がばらけてしまってよくありません。また、マンドリンの上級者の奏法を拝見していますと、小指は反響板につけず手首から振っている方が殆どです。

 

もう何十年も弾いているといっても、癖はやはり直さねば。小指君は、右手に関しては、遊んでいてくれた方がよいようです。

 

 

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第374回 年の瀬                                   平成29年12月30日

 

さて、年内の仕事は終わりました。

筆者は帰り道に自分へのご褒美…というわけではないのですが、いくつか買い物をしてきました。

CD2枚、ポストカード、そしてスコア一つ。

 

CDはかねてより聴いて見たいと思っていた、久しぶりのオケ曲。

ポストカードはその楽器屋さんで扱っている、音楽をテーマにしたカード。

そしてスコアは、来年予定している企画で弾けたらなあ、と買ったものです。

 

今年一年間、皆さまにとってどんな年でしたでしょうか。

そして、来年はどんな年にしましょうか。

 

どうぞ良い年をお迎えください。

 

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