アンサンブル青葉

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第1回〜第20回

 

目次

「誰も寝てはならぬ」

Festa Itariana

弦を張り替える

「さあ、楽しい音楽の時間だな」

6/8

年を取ると・・・

いつも音楽があるように・・・

早朝ウォーキング

新春のお慶びを申し上げます

歌の力

大河ドラマ

初舞台

KMF演奏曲ご紹介

KMF合同演奏曲

世界最速の男

小学校で演奏しました

ライブの魅力

 

1回 「誰も寝てはならぬ」                       平成2210月12日

 

 このページで栄えある(?)第1回を担当します三九朗です。管理人からは「何でも好きな事を書け!」と言われておりますが、さて、何を書いたらいいものやら・・・?

あれこれ考えて、アンサンブル青葉が今年の「青葉区民音楽祭」で演奏する曲のこと書いてみます。

 お付き合のほど、よろしくお願いします。

 

 まず、「誰も寝てはならぬ」。

 今回の演奏曲の中で、もっとも知られた曲ではないでしょうか。

プッチーニの名作で、トリノオリンピックで荒川静香さんを金メダルに導いた曲です。

 

ところで、曲の題名「誰も寝てはならぬ」とは、どういうことでしょうか?

 

歌劇「トゥーランドット」は、絶世の美女トゥーランドット姫と求婚者たちの物語です。

姫に求婚したものは、姫の出す3つの謎を解かなければなりません。これまでに幾人もの求婚者があらわれて謎に挑戦しましたが、誰一人として正しく答えたものはいませんでした。

主人公カラフ王子は、トゥーランドットの愛を得るためにこの謎に挑戦し、見事に解いて見せるのです。

 

しかし、なぜかトゥーランドットはカラフとの結婚に難色を示します。そこでカラフは賭けにでます。トゥーランドットに次のように申し出たのです。

「夜明けまでに私の名を当てて見せれば、結婚を諦めて命を捧げましょう。そのかわり、名を解き明かせなかったら、姫は私との結婚を承諾しなければなりません」(カラフは名前を明かしていませんでした)

そこで姫は、自国の国民に対し、カラフの名を解き明かすまでは寝ることを禁じ(誰も寝てはならぬ)、もし誰も解き明かせなかったら、国民を皆殺しにするというお触れを出すのです。

劇の終盤、このお触れを聞いたカラフは申し出の勝利を確信し、改めて姫の愛を得ることへの強い決意を込めたこのアリアを歌うのです。

 

さて、これまで求婚者達を拒み続け、カラフが見事に解いて見せたトゥーランドットの3つの謎とは、どういうものでしょうか?

 

第1の謎 毎夜生まれては、明け方に消えるものは?

第2の謎 赤く炎の如く熱いが、火ではないものは?

第3の謎 氷のように冷たいが、周囲を焼き焦がすものは?

 

みなさんは、お解りになりますか?

(続く)

 

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第2回 Festa Itariana(その1)              平成22年10月20日

 

副題は「Itarian Canzone Medley」。

中川信良先生の手になるイタリア歌曲のメドレーです。

メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」から始まり、「フニクリ・フニクラ」「遥かなるサンタ・ルチア」「マンマ」「さよならローマ」「海に来たれ」「カタリ・カタリ」と、どの曲も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

こうした曲について語るのは野暮、とは承知の上でご紹介します。

 

「フニクリ・フニクラ」=Funiculi−Funicula

この曲、実は世界最古のコマーシャルソングだってご存知でしたか?

1880年代のナポリ。ヴェスヴィオ火山の登山に敷設された登山鉄道「フニコラーレ」は、利用客が少なくて困っていました。そこで鉄道会社がルイージ・デンツァに依頼して作られたがこの「フニクリ・フニクラ」です。

この曲を聴いたリヒャルト・シュトラウスは、「これはイタリアに古くから伝わる民謡である」と勘違いし、交響的幻想曲「イタリアから」に取りこんでしまいました。おかげでシュトラウスは、この曲を演奏するたびに、デンツァに著作権料を支払うことになったそうです。

 

「マンマ」=Mamma

Mammaとはママ、お母さんのこと。

「ママ、あの昔の子守唄を歌ってください、いつまでも変わらないで、美しく生きてください…」と歌いかける、1941年のイタリア映画「Mamma」の主題歌です。

戦争中慰問の歌手たちがよく歌い、戦地で故郷のマンマを慕う兵士たちの心を捉えた曲です。

 

「さよならローマ」=Arrivederci, Roma

1955年の作、1957年の映画「Arrivederci, Roma/Seven Hills of Roma」の挿入歌。

「恋人を残して離れ行くローマよ、さようなら、また帰るその日まで…」と、ここではルンバのリズムに乗って歌っています。

 

ところで、前回のトゥーランドットの3つの謎、お解りになりましたか?

 

第1の謎 毎夜生まれては、明け方に消えるものは?

 ・・・それは「希望」

第2の謎 赤く炎の如く熱いが、火ではないものは?

 ・・・それは「血潮」

第3の謎 氷のように冷たいが、周囲を焼きつくすものは?

 ・・・それは、トゥーランドット!

(続く)

 

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第3回 Festa Itariana(その2)              平成22年10月28日

 

このところ急に寒くなりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

さて、中川信良先生の手になるイタリア・カンツォーネメドレー、続きです。

 

「遥かなるサンタ・ルチア」=Santa Lucia Luntana

E.A.マリオ、1919年の作。「幸せを求めて船出をしたが、月の光に遠く懐かしのナポリの灯りが見える…」と、故郷を離れる寂しさをしみじみと歌ったものです。

この歌(徳永政太郎さんの訳)を聞いたとき、私はなぜか万葉集を思い浮かべました。

 

「三輪山をしかも隠すか雲だにも(こころ)あらなむ隠さふべしや」 額田王

 

慣れ親しんだ所を離れる心情は、洋の東西を問わず同じなんですね。

 

「海に来たれ(海はまねく)」=Vieni Sul Mar

カンツォーネ・ナポリターナ、イタリア民謡です。

素朴なメロディーに乗って「愛しい人よ、目覚め、月の光輝く海へ、わが愛しの舟においでなさい・・・」とロマンチックに語りかける歌です。

この「夜、海、月の光」は「遥かなるサンタ・ルチア」にも出てくるキーワードで、メドレーには入っていませんが「サンタ・ルチア」にも歌われています。

 

ちなみにサンタ・ルチアとは、ナポリ湾に面した美しい波止場地区、ボルゴ・サンタ・ルチアのことですが、この名前はナポリの船乗りの守護聖人サンタ・ルチアのことでもあります。

ナポリの人が「サンタ・ルチア」と呼ぶとき、その言葉には美しいふるさとへの愛情と、守護聖人サンタ・ルチアのご加護あれ!との祈りが込められているのではないでしょうか。

 

「カタリ・カタリ」=Care ‘ngrato

1908年、サルヴァトーレ・カルディッロの作品。

このカンツォーネの名曲、なぜ邦題が「カタリ・カタリ」なのかちょっと不思議でした。ネットで「カタリ・カタリ」と検索しても出てこないし?

 

原題で検索したらその謎が解けました。

原曲の歌い出し 『Catari, Catari, pecche me dice sti paroel amare,…』から取ったものなのですね。

Catariは女性の名前、Catarinaの愛称です。そのCatariへのなかなか届かない、しかし熱い心情を切々と歌い上げています。

 

 いかがでしたでしょうか。

カンツォーネは情熱的な歌詞と美しいメロディーが特徴です。特にメロディーの美しさは、最近の曲にはあまりない何かを思い出させてくれます。

 青葉区民音楽祭では、この美しいメロディーの数々をお楽しみください。

会場でお待ちしています!!

 

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第4回 弦を張り替える                           平成22年11月4日

 

先日、弦を張り替えました。

 

古い弦を外し、指板を拭きます。ブリッジの辺りは特に埃が溜まっていますから、丁寧に払います。外した古い弦は、Aの上、Dの下…がわかるようにし、予備弦にします。

 

新しい弦を袋から出します。私は学生時代からずっとマキシマの…いや、今はオプティマですか…の赤を使っています。

まず手でよく伸ばし、長さを測って不要な部分を二ッパでカット(私は先に長さを決めています)。エンドを緒止にセットしたら、ペグを巻いていきます。軸の上で弦が不用意に重ならないよう、丁寧に巻きつけていきます。楽器が蘇ってきます。

 

新しい弦に張り替えた愛器は、心なしか輝いて見えます。

さっそく「慣らし」弾きをします。張り替えたばかりの弦は金属音が強く響くうえ、すぐに伸びてチューニングが狂ってしまいます。

音階練習をダウンアップ・ダブルノートやトレモロなどを交えながら繰り返し行い、手とピックが慣れたこところで曲に入ります。何回も繰り返し弾き、楽器と弦を曲に馴染ませていきます。よく馴染ませないと、新しい弦を張っただけではいい音色で歌ってくれません。

 

張り替えのタイミングには気を使います。

学生時代には、定演の1週間前というのが目安でした。

もっとも学生時代のその時期というのは、授業そっちのけの毎日練習でしたから、弦のコンディションはそれくらい弾いてちょうどいいくらい、むしろ練習で弾き過ぎて弦を切ったり、伸びきったりすることが心配なくらいでした。今はさすがにそこまですることは難しい。

 

今の目安は「1か月以内」としています。

演奏会まで1か月を切ったら、残りの練習回数(合奏です)を睨みながらタイミングを見計らって替えるようにしています。

 

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第5回 さあ、楽しい音楽の時間だな」                  平成22年11月12日

 

皆さんは演奏会までの何日か、どう過ごしていますか?

学生時代のように朝から晩まで練習々々、というわけにはいきません。

私たち社会人の常で最終練習から演奏会まで1週間!という事もざらにあります。しかも日常生活、仕事、家事があり、練習時間を探すのにも一苦労です。

 

皆さんもほんのわずかな時間を見つけては楽譜のおさらい、楽器を抱えて練習をされていることでしょう。テンポは?強弱は?アゴーギグで気を付ける点は?譜めくりのタイミングは?指使いは?

寝る前のほんのひと時、楽器に向かっている人もいます。さすが真夜中にフォルティシモで弾くわけにはいきませんから、紙のピックで練習しているそうです。

そうした練習と努力の積み重ねが、よい演奏を生むものだと思います。

 

しかしあとひとつ。しかめっ面で演奏しても、面白くありません。音楽とは、「音を楽しむ」ものですから。

演奏会当日は、千秋真一(「のだめカンタービレ」の登場人物)のセリフではありませんが、心行くまで音楽を楽しみましょう!

 

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第6回 6/8                              平成22年11月21日

 

子供の頃、音楽を始めたばかりの時、何で6/8という拍子があるのか不思議でした。

「6/8?こんなの約分すれば3/4じゃないか。何でこんな訳の解からない拍子があるんだ?」…

もちろん皆さんはお解りですね?6/8とは、2拍子で1拍を3連符にとれ、という指示ですね。

 

この6/8の曲というと、私は真っ先に鈴木静一の『雪の造形』第一楽章を思い浮かべます。

どんよりとした空の下、やがて雪が降ってくる。強く、弱く、深々と降り積もる様子が浮かんできます。

これを試みに6拍で振ってしまうと、とても賑やかというか(せわ)しないというか、鈴木静一が意図した心象は表現できないように感じてしまいます。

 

また、5/8という拍子もあります。

これはさすがに3連符2つ、ではなくて3拍+2拍、または2拍+3拍でとることになるでしょう。

 

この拍での曲というと、加賀城浩光さんの「Promenade T」を思い出します。

なぜこの拍を採用したのか、作曲者の加賀城さんがコンサート会場で次のような解説されたのが印象に残っています。(平成19年2月17日、CONCERT 1961。なお解説要旨は筆者の記憶によります。)

『作曲当時、5/8チップというスナックが流行っていて、そこから5/8という拍を使ってみたかった。また、東京のせわしない様子を表現するのにぴったりだった(要旨)』

なるほど、この曲冒頭の高音部と低音部のちょっと不安定な掛けあいから、東京の街のざわめきが伝わってくるようです。

 

普段何気なく弾いている曲も、この時作曲者は何を考えていたのだろう、と想像しながら弾くと、また楽しくなってきそうです。

 

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第7回 年を取ると・・・                         平成22年11月28日

 

最近、若手邦人作曲家の曲を何曲か演奏する機会がありました。

経験のない調性・テンポやリズム、和声の進行。複雑なオーケストレーション、音の跳躍、楽器の使用法など、どれをとっても刺激的であり、大変興味深いものでした。

ところでその後、ヴェルキの「序曲第1番イ長調」を演奏する機会があり、その(比較すると)単純で明快なメロディ・和声進行にほっとすると同時に、「この曲は実にいい。何より、曲が若々しさに満ちている」と感じたのです。

両者の優劣を論じている訳ではありませんよ。ただ、筆者は率直に「現代曲よりヴェルキの方がいい」と感じたのです。それはなぜなのだろう?

現代曲をあまり耳にしていなかったからか? 曲に対する理解が足りないからだろうか? 古典的な曲に自分が馴染み過ぎているからだろうか?

いやはや難問で、結論は出そうにありません。

 

ちょっと調べてみました。

ヴェルキが「序曲第1番」を作曲したのは1924年。日本ではマンドリンが紹介され、各大学でマンドリンクラブが創設されていった時期です。

その後、第2次世界大戦によるマンドリン音楽の衰退、その後の復興と隆盛、マンドリン人口減による縮小傾向など様々な事がありました。

「してみると、「序曲第1番」は、そうした試練(?)を乗り越えて皆に選ばれ、弾き継がれてきた曲(の1つ)ではないだろうか。

翻って現代曲は、まだそこまではいっていない。無論そうでなければいけない、ということではないけれど、その曲が5年10年と弾き継がれていくなら、その時に改めて考えればいいのでは?」

それまでは、現代曲の譜面に素直に取り組んでいくことでしょう。

いやはや、年を取ると自分を納得させるのも一苦労です。

 

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第8回 いつも音楽があるように・・・                    平成22年12月4日

 

新人の方に楽器を教えることになったら、皆さんは何を教えますか?

まず楽器の持ち方、構え方。音の出し方、チューニング。それからドレミの音階といったところでしょうか。

その他には?

 

最近読んだ本に、このような話が紹介されています。

ケルン音楽大学教授のクラリネット奏者、ラルフ・マンノ氏が日本の音楽祭に参加した時のこと。氏はそこで、楽器を始めてまだ3か月という女子中学生を教えることになりました。

マンノ氏は世界的なクラリネット奏者で、教えを請うても容易にかなう方ではありません。そんな高名な演奏家が、音を出すのがやっとという中学生に一体何を教えたのでしょうか?

 

「・・・マンノ氏は、彼女にしてみればまだ慣れていない音階練習をさせたのです。『ド−レ−ド、ド−レ−ミ−レ−ド、ド−レ−ミ−ファ−ミ−レ−ド』という具合に少しずつ音程差を増やしていくというものでしたが、彼が生徒に望んだ事は『常に音楽があること』でした。彼は、まだ曲の演奏もできない中学生に、ド−レ−ドというフレーズを吹くなかにも『常に音楽を込めるように』と教えました。

(中略)

『いいかい、何の考えもなく、ただ音を出すという瞬間を君の人生に作ってはいけない。たとえ音階練習であっても、そこに音楽があると信じ、音楽を作りなさい』 

 

単純な音階練習ですら音楽的に吹くことを心がければ、常に生き生きとした音楽を作ることができる。・・・(後略)」

(藤野栄介著「指揮者の知恵」学研新書 123〜124ページより抜粋。強調文字は筆者)

 

いかがでしょう。単純な、ときには退屈な基礎練習、音階練習。つい適当に済ませてしまいがちです。それが奏者の心がけひとつで、音符の羅列から音楽に変わるというのです。

多くの方の参考になればと思い、紹介させていただきました。

 

この本は、指揮者とはいかにあるべきか、指揮者とオーケストラとの関係は、各演奏者はどうあるべきかという点でもたいへん参考になると思います。

興味のある方はぜひご一読ください。

 

なお本文の引用・掲載にあたりまして、学研新書編集部のご厚意をいただきました。深く御礼申し上げます。

 

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第9回 早朝ウォーキング(その1)                     平成22年12月17日

 

演奏会も一段落。ちょっと音楽から離れて、早朝ウォーキングをしてみましょう。

メタボ対策のためウォーキングをしています。通勤の電車を一駅手前で降りて歩くのですが、これがなかなか楽しくてすっかり気に入ってしまいました。

 

スタートは東京メトロ『国会議事堂前』駅です。

地下シェルターもかくや、と思えるほど長い階段と通路を通ってようやく改札口を抜けます。朝まだ6時半過ぎ、こんな早くに誰もいないだろう…と思って外に出ると、ものものしくお巡りさんが並んでいるではありませんか。びっくりしました。

それもそのはず、駅のすぐ裏は首相官邸と内閣府。警備は厳しいはずです。

 

厳しい警備といってもそこは早朝。ずらり並んだお巡りさんも心なしか眩しそうです。

坂を下り、外堀通りを虎ノ門に向かって歩いていきましょう。

早朝の東京は人通りもまばら。まるで違う街を歩いているようです。普段は車で一杯の外堀通りも「ここは高速道路か!」と思うくらい車がすいすい走っていきます。

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溜池の交差点を過ぎると、懐かしい形のバス停があります。

しかし、どうも変です。時刻表には時間の記載が全くなく、大体バスが止まっても乗れそうにありません。いったい、何じゃこれは!?

 

通りが左にカーブを切ると、もう虎ノ門の交差点は間近です。

ここ、虎ノ門にはかつて国立教育会館『虎ノ門ホール』がありました。

客席はワンフロアで1000名程だったと思います。学生時代にはよくコンサートを聴きにいったり、賛助で舞台を踏んだりしたものです。

行政改革の一環で国立教育会館が廃止となり、虎ノ門ホールも閉鎖になりました。現在は文部科学省の近代的な高層ビルが建っています。

 

虎ノ門ホールは、最新の音楽ホールに比べると音響などの点では劣っているのでしょうが、虎ノ門という立地の良さに加えて、舞台は広く、他の演出もしやすく、バックヤードも広くとても使いやすいホールでした。

最近はこのようなホールが少なくなっているように思えます。

(続く)

 

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第10回 早朝ウォーキング(その2)                    平成22年12月24日

 

このところめっきり冷え込んできました。早朝ウォーキングも歩きだしはちょっとつらいかも?

でも歩いて行くうちに心も体もぽかぽかに暖まってきます。

さて、外堀通りはほぼ千代田区と港区の境を東西に走っています。

今日は港区側を歩いてみましょう。

 

溜池の交差点から一本裏道に入ります。

表通りの、高層ビルが並んだ、近代的な感じから一転。低い雑居ビル、あるいは個人の住宅がある、庶民的な路地が現れます。

 

20101217064855.jpg外堀通りの『外堀』とは、文字通り江戸城の外堀のことです。大雑把にいえば千代田区側は江戸城郭内、港区側は郭外になります。

かの昔、江戸城郭内は大名屋敷が整然と並んでいたのでしょうね。それに対して郭外である港区側には、庶民の住宅である長屋や商店が雑多に建ち並んでいたのではないでしょうか。背の低い雑居ビルや商店がある種雑然と並んでいる様には、今も昔もたくましく生きる江戸市民の姿が浮かんできます。

 

 

やがてビルの谷間に小さな木立が見え、文政4年の銘のある立派な銅製の鳥居に守られたお社に着きます。

ここは金刀比羅宮。「こんぴらふねふね〜」で歌われた四国・こんぴらさんの分社です。

江戸時代、ここには四国丸亀藩の江戸屋敷がありました。初代藩主京極高知が金刀比羅宮本宮からのご分霊を藩邸内に勧請したのが起こりです。のち京極高豊の時代に、当時の江戸庶民の熱烈な要請に応え、毎月10日に藩邸を開き参拝を許しました。今でも毎月10日はご縁日に当たり、多くの参拝者がお参りします。

 

20101104065722.jpg

筆者の早朝ウォーキングは、ここ金刀比羅宮がゴールです。せっかくですからここで一日の無事をお祈りしていきましょう。

みなさん、どうぞよいお年をお迎えください!!

 

(終り)

 

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11回 新春のお慶びを申し上げます                      平成23年1月1日

 

 昨年は大変お世話になりありがとうございました。

アンサンブル青葉の皆様、ホームページをご覧頂いています皆様にはお健やかに初春をお迎えと存じます。

アンサンブル青葉も2002年の発足より、「亀の歩み」の様ではありましたが、メンバーの皆様の情熱と努力、それに加えご家族のご協力により現在に至ることができました。   

 《兎の登り坂》という諺があります、兎は後足が長く、坂を登ることが巧みであるところから、持ち前の力を振るうことができて、物事が早く進むたとえです。

 平成23年のアンサンブル青葉は、メンバーの皆様がそれぞれの持ち前の力をお振るい頂き、より充実したマンドリン・ギターアンサンブルを目指していきたいと思います。

 最後に、アンサンブル青葉の皆様、ホームページをご覧頂いています皆様のご健康とますますのご活躍をお祈り申し上げます。

 

                              アンサンブル青葉 代表 釜 崎 信 治

 

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第12回 歌の力                                平成23年1月7日

 

先日テレビを見ていますと、いきなり石川ひとみの『まちぶせ』が流れてきました。思わず注目!

筆者にとってこの曲は、FMラジオのエアチェック(古い言葉です)でカセットテープ(今、殆ど見かけませんよね?)に録音し、何度も聞いた思い出の曲です。

当時筆者の部屋には本棚改造のオーディオラックがあり、アンプ・レコードプレーヤー・カセットデッキ・チューナーが所狭しと並んでいたのです。番組欄をにらんでは好みの曲を録音しまくる日々でした。

 

引き続きその番組を見ていると懐かしい曲のオンパレードでした。

次に出てきたのはジュディ・オングの『魅せられて』。

この曲はTBSの『ザ・ベストテン』でよく観ていましたね〜。

♪Winds blowing from the Aegean〜♪のメロディーと共に彼女が大きく手を広げると白い、鳥のように大きなドレスが・・・

 

そしてちあきなおみの『喝采』(この曲、今でもそらで歌えます)。1972年の日本レコード大賞受賞曲。

当時、夜7時からのレコ大と9時からの紅白は、大晦日の定番番組でした。

レコ大は(今でもそうでしょうが)当時の歌謡界ではたいへん権威ある賞で、会場もTBSのスタジオなどではなく日比谷の宝塚大劇場でした。

そのレコード大賞を受賞したちあきなおみは大泣き。その感激のまま歌い、そのまま渋谷のNHKホールに移動して9時からの紅白歌合戦に出場したと覚えています。

 

トリは太田弘美『木綿のハンカチーフ』。この曲も流行りましたはやりました。

この曲一番の思い出は高校の林間学校の際、クラスメートたちと歌ったこと。恋人同士の応答ソングになっていますので、男女で歌い分けができるのです。キャンプファイヤーに照らされた、楽しいひと時でした。

 

歌が、単に懐かしいというだけでなく、その時の様々な思い出を呼び起こしてくれました。

歌の力って素晴らしいですね!!

 

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第13回 大河ドラマ                             平成23年1月14日

 

今年のNHK大河ドラマは「江」。徳川二代将軍秀忠の御台所ですね。彼女はどちらかというと悪妻・・・悋気深く、後の家光と忠長との世襲争いで春日局との確執は有名・・・に描かれることが多かったように思います。

今回、その江をドラマ「のだめカンタービレ」で主役の野田恵を演じていた上野樹里さんが扮することで、新しい「江」の姿が見られそうです。

 

そして大河ドラマのもう一つ楽しみ。それはメインテーマです。筆者が注目しているのは、作曲が吉俣良さんであることです。

吉俣さんは、3年前の大河ドラマ「篤姫」のメインテーマの作曲者です。

ここ何年かのメインテーマの中では、筆者は「篤姫」のそれが一番よかったと思います。勢い戦国物など勇ましい曲が多いなかで、「篤姫」はゆったりとしたテンポのなかで、篤姫の青春時代から将軍御台所へ、そして幕末の大乱へと、彼女の波乱に満ちた生涯を連想させる、気品に満ちた曲でありました。

今回、吉俣さんはどのような「江」を描き出してくれるのでしょうか。

 

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第14回 初舞台                               平成23年1月21日

 

「もう緊張してしまって・・・何とか落ち着く方法はありませんか?」

 

何年か前、ある演奏会をお手伝いした時のことです。

ゲネプロも終わり、開演を待つばかり・・・といった時、不意にコンミスの方に尋ねられました。彼女は演奏会の経験がなく、この舞台が「初舞台」だったのです。

 

「まあ、手のひらに『の』の字を書いて飲み込むといいますが・・・」とっさに言葉を繋ぎながら、ふと自分の初舞台を思い出しました。

 

学生時代の初舞台は、本当に緊張しました。

今思えば大げさですが、その時はお客さんの目が全て自分に注がれているような気がして、全く手が動かず弾けませんでした。

私が少し落ち着いたのは、演奏会も後半になってから。同じ舞台の上に、先輩・同期の仲間が大勢いることに、ようやく気が付いてからでした。

 

私の学生初舞台のコンマスが、この演奏会の主宰・指揮者のSさんなのです。

・・・そうだ、Sさんはいつもにこやかに微笑みながら指揮をしているよな。

練習中、その微笑みにどれだけ救われたものか・・・

 

そのことを思い出しながら、コンミスの方に答えました。

「演奏前、Sさん(指揮者)の顔をご覧になる事ですよ。Sさんはいつも笑顔で皆さんを見守っています。

ご自分お一人ではなくて、Sさんはじめメンバーの皆さんが一緒です。どうぞ安心して弾いてください。」

 

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第15回 KMF演奏曲ご紹介                         平成23年1月22日

 

第30回神奈川マンドリンフェスティバルは4月17日(日)。横浜市栄公会堂で行われます。アンサンブル青葉の春の活動メインであり、メンバー一同練習に大変熱が入っています。

今回の演奏予定曲目を紹介します。

 

「Nuovo Cinema Paradiso」より「Love Theme」

1989年のイタリア映画「ニュー シネマ パラダイス」。

映画監督として成功した男性が、映画に魅せられた少年時代・初恋の青春時代を回想する、映画への愛情が描かれた物語です。

この映画、日本では全国で一館のみでの公開でした。それにもかかわらず、40周連続上映で観客動員数27万人という、単一映画館としての最高記録を打ち立てています。

音楽担当はエンリオ・モリコーネ。彼の美しい曲で全編をカヴァーしています。

その中から「Love Theme」。変ロ長調の夢見るようなメロディーが様々に表情を変えながら、私たちの心に訴えかけてきます。内藤正彦さんの編曲でお届けします。

 

「La Pioggia(雨)」

原題の「La Pioggia」の方がいいでしょう。言わずと知れたジリオラ・チンクエッティのヒットナンバー、1969年サン・レモ音楽祭入賞曲。

チンクエッティは日本語でも歌い、本邦では本国イタリアを上回る人気を博しました。

日本人でも伊東ゆかり、弘田三枝子、南沙織などがカヴァーしたほか、最近では車のCMにも使われ、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

「雨」という邦題はちょっと湿っぽいものを感じさせますが、そんなことはありません。「雨が降ろうが気温が低かろうが、あなたとの愛があるから私には関係ない!!」という、実にからっとした歌です。なにせ、「雨」でなく「La Pioggia」ですから。中川信良先生の編曲でお届けします。

 

   30回神奈川マンドリンフェスティバルは、延期になりました。

 

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16回 KMF合同演奏曲                          平成23年25

 

みなさんはカラオケで得意な歌がおありと思います。でも、普段と違うお店に行った時、どうもいつもと調子が違うな〜と思ったことはありませんか?

 

…と唐突に何の話かといえば、KMF合同演奏曲。今年は『マンドリニストの群れ』です。

原題は『I Mandolini a congresso !』、これはイタリア語で『マンドリニスト、集まれ!』という意味。この曲は軽快なピッキング、美しいトレモロといったマンドリン音楽の特性を十二分に生かした、マンドリニストであれば誰もが知っている名曲です。

この曲、筆者は学生以来3度目の演奏になります。そして3曲とも譜面が違うのです。曲は同じ、パートも同じなのですが、8分音符のところが16分音符だったり、メロディーがオクターブ違っていたり、譜面が微妙に違っています。

もうお分かりのことと思いますが、これは3曲とも編曲者が違うのです。当然のことながら、編曲者は演奏する楽団の構成(編成・人数など)に合わせて編曲されるわけですが、その後譜面だけが独り歩きして、このような事になるわけです。

「じゃあ、どれが本物の『マンドリニストの群れ』なの?」ですって?どれも本物の『マンドリニストの群れ』です。譜面の微妙な違いを楽しんでいきたいと思います。

 

   30回神奈川マンドリンフェスティバルは、東日本大震災に伴う影響のため、開催延期となりました。

震災により落命された方へ謹んでお悔やみを、被災された方へ心よりお見舞い申し上げます。

また、被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。

 

 

 

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第17回 世界最速の男                            平成23年212

 

いえいえ、アイルトン・セナやウサイン・ボルトではありません。

『キャンディード』序曲録音で世界最速の指揮者、佐渡裕(さど ゆたか)さんのことです。

TVの収録で宮崎市を訪れた佐渡さん。偶々地元の高校吹奏学部を指揮することになりました。(NHK「鶴瓶の家族に乾杯!」2月7日放送分)

世界的な指揮者が、全国レベルとはいえ高校生を相手にどんな指揮ぶりを見せるのかと、興味深々で見ていました。

ちょっとその場面を再現してみます。筆者の記憶ですので、細かいところはご容赦ください。

 

高校生を前に指揮台に立った佐渡さん、まず「私の『キャンディード』は世界最速(の録音)といわれておりますが…」といいながら、「まず一回通してみよう!」といきなり振り始めました。それもin tempoです。

初めての指揮者にしかしきちんとついていく高校生たちのレベルにも舌を巻きましたが、佐渡さん、初めのワンフレーズかそこらで曲をストップ。「君たちの実力はわかりました」と熱血指導が始まったのです。

 

佐渡さんがまず指示を出したのは、グラン・カッサとティンパニです。出だしにしっかりと入るように指導。

いきなり指名された奏者は心なしか高揚したようです。次の時はバシッと決まり、それがきっかけに曲全体が一層活気づきました。

またシンコペーションの指導では、「殴ろうとする時、いったんこぶしを引かないと殴れないでしょう?(自分の顔にこぶしを当て殴るまねをする)一回引いて(緩めて)、そしてパンチを出す。君たちのは、元気良すぎてパンチを出しっぱなしだよ」と、休符の大切さを的確に教えていました。

スタッフから「後5分です」と告げられ、「じゃ最後に一回通してみよう」と演奏した『キャンディード』。明らかに最初のそれとは違っていました。そして、『世界最速の男』は颯爽と宮崎を去っていったのでした。

 

番組の性格上、練習シーンはほんの4〜5分に編集されていましたが、そのわずかなシーンだけでも私たちにも大いに参考になる、大変に見ごたえがあるものでした。

あの練習風景だけノーカットで放送してもらえませんかね〜NHKさん!

 

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第18回 小学校で演奏しました                        平成23年2月19日

 

今日、アンサンブル青葉のメンバーが小学校で演奏をしてきました。

横浜市立つつじが丘小学校で行われた「わくわく列車! 地域の”わ”をひろげよう!」のイベントに賛同したメンバーが(なんとつつじが丘小学校の卒業生です)、マンドリンの紹介も兼ねて参加してきたものです。

お客様は小学校の児童・保護者の方など約30名。「マンドリンってなんだ?」という、マンドリンを見たことも聞いたこともない小学生たちを相手に、マンドリンの紹介と演奏を行いました。

 

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演奏曲目

ローレライ、オーソレミオ、サンタ・ルチア、ペチカ、早春譜、花の街、大きな古時計、白鳥、ジブリアニメより(さんぽ、いつも何度でも、崖の上のポニョ、もののけ姫、世界の約束、やさしさに包まれたなら)、翼をください

 

初めての楽器に戸惑い気味だったちびっこたちも、『大きな古時計』や『さんぽ』などの曲がかかると大きな声で歌っていました。

演奏が終わると、みんな初めて見るマンドリンに興味深々、楽器を触って大満足でした。

 

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第19回 Viva! Kuwata!                          平成23年2月26日

 

サザンオールスターズ・桑田佳祐さんといえば、知らぬ人はない、もはや国民的歌手(アイドル)といってもいいでしょう。

初めて見たのはまだ高校生のとき。TBSの「ザ・ベストテン」でゲスト出演した時。サザンオールスターズのライブ会場からの中継。そのあまりにノリノリの会場雰囲気に圧倒された司会の黒柳徹子さんが、「あなたたちは一体何者ですかぁ〜???」と聞いていましたっけ。

その後の活動は皆さんご存じのとおり。ロックであれバラードであれ、彼の曲と判るオリジナリティとハスキーでエネルギッシュな歌声でリードしてきました。

その桑田さんが新しいアルバムを発表しました。

桑田さんといえば去年食道がんで休養し、紅白で見事に復活!復活最初のアルバムという事で、ン年振りでCDショップへ行ってきました。

新しいCDは全17曲。時事問題(?)あり、ロマンスあり、故郷への愛情あり。ほんの少し年を感じさせ、その年を取った分ますます広がる桑田ワールド。このままいつまでも広がり続けていってもらいたいものです!

 

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20回 ライブの魅力                            平成23年35

 

音楽を聴くには、古くはテレビ・ラジオ放送、レコード・CD、今だったらネット配信等々ありますが、最大の楽しみはやはりライブで聴くことでしょう。

ライブの魅力とは一体何でしょうか。

 

少し前、オカリナの宗次郎さんのミニコンサートを聴いたことがあります。新しいCDの発表にあわせたプロモーションでしたが、筆者はそのCDを聴いて各曲とても気に入っていましたから、是非にと会場に行ったのです。

実は少し不安はあったのです。というのも、CDの曲はバックにバイオリン・チェロ、シンセサイザーといった伴奏が付いています。会場ではシンセサイザーがあるだけでしたから、伴奏はカラオケで演奏することになるようでした。これではCDの再現に留まるだけではないのかなと思ったのです。

 

しかし、いざミニコンサートが始まるとその不安はたちどころに解消してしまいました。

まず、スタッフが大きなトランクを運び込みました。

そして宗次郎さんが鮮やかな朱の衣装をまとっての登場です。宗次郎さんはおもむろにトランクを開け、そこからオカリナを取りだし、曲が始まったのでした。

 

確かに伴奏は、CDのものと変わりません。

しかし、宗次郎さんの演奏する様子、表情、息遣い、指の動き。オカリナの微妙な音の変化、CDのものとはまた微妙に違う装飾音符…。宗次郎さん自身の穏やかなナレーションと相まって、あっという間の一時間でした。

 

曲のみならず会場の雰囲気、出演者の入退場、衣装、そして何より演奏する様が全てコンサートなのですね。これらが感じ取れるもの、それがライブの魅力です。

 

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